情報メディアについて


|| 媒体って言葉はなんかイメージしにくい

簡単には「入れ物・出すもの」みたいな感じですね。

情報メディアだと、これが「記録・発信」になる感じ。

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目次


情報伝達『情報は価値がある』

メディア『情報を伝達・記録するもの』



マスメディア『大衆への情報を伝達・記録するもの』

   大衆(マス mass)『大多数の人、もしくはその中の1人』

   マスコミュニケーション『大衆へ伝達すること』


マスメディアの意思決定『大衆ではなく個人・第4の権力』


大衆扇動『群集心理を利用して、流行とかを創る』

   愚民政策『娯楽などに目を向けさせ、知性を鈍らせる政策』



Webメディア『次世代のマスメディア』

   多数の情報発信者『情報を選べるようになった』








メディアって言葉、聞いたことありますか?

おそらくですが、多くの人は聞き覚えがあると思います。



でも、ちゃんとした意味とか、

なんでメディアがメディアと呼ばれているのか、

この辺り、けっこう曖昧な人が多いんじゃないでしょうか?



意味としては、昨今では「テレビ局」「雑誌社」とか、

この辺りを表すのに使われているように思います。



結論から言っておくと、使い方としては正しいです。

ただ、意味を狭く捉え過ぎているようにも思えます。



というのも、そもそもの意味としては、

\mathrm{Media} は『仲介するもの』という意味で、

これは \mathrm{Medium} (中間)の複数形です。



つまるところ、意味としては『仲介するもの全般』となるわけで、

「テレビ局」「雑誌社」『だけ』を指すわけではないんです。




この辺り、今後「意味を混同してしまう」原因になりかねないので、

しっかりと押さえておきましょう。




というわけで、しっかりと意味を考えてみましょうか。

多くの人が使っている「メディア」という単語の、

その「より正確な意味」について。



結論としては、『情報を仲介するもの』を指していますね。

この感覚だと、かなり「テレビ局」「雑誌社」に近くなります。



はい、そうです。

「多くの人がメディアと言っているもの」は、

『情報を仲介するもの(情報メディア)』なわけです。



この記事では、主にこれについて扱っていきます。

大雑把には「情報の流れ」について触れていく感じ。

ざっと見てくと↓みたいなやつについて見ていきます。



昔は「情報発信者(少ない)」→「個人(少ない)」

テレビの時代では「情報発信者(少ない)」→「大衆」

ネットの時代では「情報発信者(多い)」→「個人(多い)」



これが、昔から現代にかけての情報の流れの変化になります。

代表的な例だと、上から「伝聞」「テレビ」「ウェブ」という感じ。







情報伝達


|| 知るという価値・知ってもらうという価値

これは『人間の営みの1つ』ですね。

『必要不可欠な人の営み』の1つと言っても良いでしょう。



意識しない事実ですが、『情報は価値がある』んです。

「無形」ではありますが、そこには確かに価値があります。



原始的には「水源の位置」「食料の取り方」とか。

なにより『コミュニケーション』もまたそうです。

当然、これ以外にもいくらでも考えられるでしょう。



現代だと「料理がうまい店」とか。

他にも「映像・映画」とか「読み物・雑誌」とか。



このように『情報には価値がある』わけです。

現代においても、これはお金になったりします。




このように『価値のある情報を得る』ことが大事なのは当然で、

実に自然な話だと思われます。

この『価値のある情報』に触れたことのない人はまずいないでしょう。




ただ、これはあくまで『情報を得る』アプローチです。

であれば、『情報を発信する側』が必要になりますよね。

というわけで、これについて考えていきます。



これもあまり意識しませんが、

『情報を発信する側』から見てみれば、

『情報を発信することに価値がある』から、発信しています。



意味もなく情報を垂れ流したりは、自然にはしません。

というのも、雑談なら「話したいから話す」わけで、

そこにはお金も発生せず、小さいことですが、価値はあるわけです。



このように、『情報を発信する』という行為自体にも、

『情報を得る』と同様に、価値があります。




具体例としては、「お金にはあまりならないもの」については、

↑のように「話したい」とか「知ってほしい」とか。

いわゆるありふれたコミュニケーションの感じ。



この辺りを考えると、

『情報を発信することにも価値がある』ことについて、

それなりに納得できると思います。




はい。というわけで、↑を踏まえて、

今度は『お金になる』話についてしていきます。

そう、ここで「メディア」が絡んでくるんですね。



具体的には、要は『マーケティング』の話になります。

そう、『伝えることで価値が生まれる』事例の、

「お金」が発生するパターンがこれです。



この時点でなんとなくわかると思いますが、

このように『知ってもらうため』に、

『情報を発信する』という行為には、確かな価値があるわけです。



そしてこの『情報を発信する手段』こそが、

「メディア」と呼ばれているものの本質となります。




というわけで、この『情報を伝達するなにか』について、

より詳しく見ていきましょうか。







メディア Media


|| 蓄積するもの・伝達するもの

本来は「仲介するもの」を意味するものですが、

昨今では『情報を仲介するもの』としての意味合いが強いです。



再度確認しておきますと、

\mathrm{Media} の意味は『仲介するもの』で、

これは \mathrm{Medium} (中間)の複数形になります。




具体的なものとしては、

もっとも原始的で、おそらくずっとそうあり続けるものとして、

『人間』そのものもまた、代表的なメディアの1つになります。



『情報の蓄積』『情報発信』の観点から見ても、

自然に考えると、「人にとって」はこれがスタートです。

はい、『人にとっての最初のメディア』は「人」なんですね。



他の「情報メディア」の代表的な例としては、

「紙」「ラジオ」「テレビ」「Web」とか、

この辺りが考えられます。




基本的には「中身を確認できる入れ物」とか、

そんな感じに思っておけばOKです。







マスメディア Mass Media


|| 真ん中のコミュニケーションを省略しちゃってる

『マスコミュニケーションのメディア』のこと。



具体的には「雑誌・ラジオ・テレビ・映画など」のことですね。

昨今では「スマホ」なんかが一番普及しているイメージ。



ともあれ「マス」の由来も、

「マスコミュニケーション」の意味も曖昧なので、

ともかくそこを押さえていきましょうか。



結論としては、「マス」は『大衆・大量を意味する単語』で、

「マスコミュニケーション」については、

『不特定多数に情報を発信するメディア』のことです。






マス・大衆 Mass


|| 全体の一部の人たち、もしくは個人のこと

感覚的には『普通の人たち』のような感じですが、

実情は『無関心な人たち』がこれになります。



辞書的な意味としては、

「大多数の人たち」もしくは「その内の1人」を指していますね。

どっちかと言えば「大多数の人たち」という意味が強いでしょうか。




ただこれについては、わりと誤解があるように思います。

これがけっこう厄介な話。



というのも「個人」と「大衆」を『同一視してしまう』点や、

「全体」と「大衆」を『同一視してしまう』点など、

誤解を招く要因になりがちな単語なんですよね、これ。



「個人の意見」は「大多数の意見」と一致するとは限りませんし、

「大多数の意見」も「全体の意見」と一致するとは限りません。

そもそも「全体の意見」に至っては定義が曖昧ですし。



とまあ、このようにわりと誤解を生む単語なんです。

この誤解は「=の誤用」に関わる話で、

かなりの人がこの勘違いを抱えています。



これを是正するためには、

基本的には「大多数の人たち」という、

『よく使われる方に限定してしまう』のが良い感じ。



「大衆の中の1人」は、そのままこの表現を使って、

「大衆」の意味を『個人の集まり』と定義してしまいます。

混同しないよう分けるわけですね。



こうすることで、この言葉が誤解を生むことは減るでしょう。

多くの人に周知されるには時間がかかりますが、

いつか辞書の内容も変えてしまいたいですね。




んで、この具体的な中身についてですが、

基本的には「大多数である」ことが前提になるので、

『ある思想・意見・主張・意思など』に統一されています。



つまり「大多数がそうだと思っている思想」が存在していて、

『その思想を持つ人の集まり』として「大衆」を定義できるわけです。



順番をまとめると、

「ある思想に着目」→「その思想を持ってるかどうか」

「過半数の人がその思想を持っている」→「大衆を定義できる」



この、さらに具体的な中身を見ていくと、

この中の「大部分」は「消極的にその思想を支持する人達」で、

つまりは『無関心な人たち』になるわけですね。






マスコミュニケーション


|| 不特定多数に、一方的に行う情報伝達

辞書的には「大衆への大量の情報伝達」を意味します。



「マスメディア」とよく混同されがちな単語ですが、

これは『伝達に限定されている』という点で異なります。



「マスメディア」は『記録・伝達の媒体』を意味しますが、

「マスコミ」は『伝達』の意味に限定されてるんですね。



つまり「報道機関」の意味が強調されているのは、

「マスコミュニケーション」の方になります。



でもまあ、どっちを使っても間違いではないです。

少なくとも「伝達に関するマスメディア」であれば。




話は変わってこの具体的な内容に移りましょうか。

ただの「メディア」との違いについてみていきます。



その違いを示す最たる特徴は、

『大量の人・不特定多数に、情報を伝達できる』点ですね。



情報の流れとしては、

「情報発信者(少数)」→「受け取り手(大衆)」という感じ。

逆は無いです。



これを「できてしまう」のが、

「マスコミュニケーション」の最たる特徴になります。







マスメディアの情報発信者


|| 大衆ではない、大衆の代弁者になってしまう者

当然ですが、「意思決定者」は『組織の代表』になります。

つまりは「個人」であって、「大衆ではない」んですね。



これについて、きちんと見ていきましょうか。

ちょっと複雑ですので、1つ1つ見ていきます。




・見落とされがちな事実


『マスメディアを使う団体』は「営利団体」であること。

『流す情報を作る』のは「目的を持った人間」であること。



この2点をしっかり認識しておいてください。

そうすれば↑の事実に納得できるかと。




・有限性


『流せる情報の量は限られている』ということ。

『流される情報は、優先度の高い情報になりやすい』ということ。



この事実についても認識しておきましょう。

こうすることで『流す利益のある情報が報道されやすい』という、

「情報の意図」が見えてきます。




・優先順位


『優先度の高い情報が存在する』という点。

『目的を満たす情報は、優先順位が高くなる』という点。



この事実は↑の補強ですね。

これで『利益にならない情報を報道する可能性は低い』という、

「情報の意図」「流される情報の傾向」が浮き彫りになります。




・得られる事実


まとめると、

『情報発信者は、利益になるよう情報を流す可能性が高い』し、

『マスメディアからの情報は、大衆の声とは限らない』わけです。



はい、彼らは決して「大衆の代弁者ではない」んですね。

あくまで「利益を求める集団」になります。

善悪は、この2の次です。






これを見てわかると思いますが、

『自分たちの不利益になる情報』については、

当然、優先順位は非常に低くなります。



これはなにもおかしな話ではなく、単なる事実です。

彼らは「利益を求めている」わけですから、

当然、「流すことで利益になる情報」を優先して流します。




つまるところ、「マスメディアからの情報」というのは、

あくまで『マスメディアが得をする情報』なわけです。



ですから『真実であるかどうか』というのは「2の次」で、

そもそも「マスメディア」は『真実を報道する必要が無い』んです。

視聴率こそが命!



そう、前提として、彼らの情報の信頼性は高くも低くもありません。

彼らはあくまで、『自分たちの利益になる情報』を報道しています。

そこに「正しいかどうか」は『あまり関係が無い』んです。



『結果的に正しければ』それでよくて、

『結果的に間違っている』としても、

「利益になっている」なら、それで良いわけですね。




そう、そもそも「正しい情報を得たい」という、

そういう需要を満たすものではありません。



「マスメディアの情報が信じられるかどうか」というのは、

そもそもの話として、議論する意味があまり無いんです。



真実を言って利益になるなら良し。

嘘を言って利益になるなら良し。

それが彼らの基本方針で、ただそれだけの話ですから。




フェイクニュース


嘘を吐くことで利益になる最たる具体例はこれです。

要は「意図して嘘を吐くことで利益を得る」手法になります。




有名な具体例としては、

『嘘の証言』を根拠にした「慰安婦問題」や、

『国民からの借金』を「国の借金」と表現する例などが。




朝日が証言をとったのは、確か吉田とかいう人でしたか。

この1人の嘘つきと1つの営利団体のせいで、

慰安婦問題は今もなお真実のように扱われています。



しかし報道した朝日には「特に害もなにも無い」ので、

「視聴率が取れてラッキー」程度の話でしかありません。




「国の借金」問題についてはNHKでしたか。

これは「銀行が政府に貸しているお金」なわけで、

そもそも「銀行は、国民の預金からお金を出している」んです。



つまり「政府の借金」の話で、

「国民に返さなければならないお金」なんですね。

これを「国の借金」と表現して誤解を招いているわけです。



これは嘘とは異なりますが、

明らかに『意図して誤解を招く表現』なわけで、

実際問題、国の借金について理解している人は少ないです。




こんな感じで、「マスメディア」は嘘を吐きます。

それに加えて誤解を招く表現を使ったりもします。

なんのためにそんなことするのかって、『利益のため』です。



善悪の話はさておいて、

そもそもの話、信じるかどうかは、議論する意味がありません。

マスメディアを利用する営利団体の正義は、利益なわけですから。



再度確認しますが、

彼らは「利益のために報道している」のであって、

『真実かどうかは重要ではない』んです。






『真実を報道したい・伝えたい』という、

いわゆる「正義のジャーナリズム」を持つメディアについては、

無いとは言いませんが、かなり少数派になります。



これについては自分で見極めるのがベストでしょう。

まあ、そのためには正しさを見極める知識が必要になります。

そう、数学の出番でーす (*^▽^*)



あらゆることは、誰が言っていても、参考にしかなりません。

自分で見て、感じて、考えて、良い感じに判断してください。

それが唯一信じられる答えになります。







大衆扇動 Mass Agitation


|| 群集心理を利用して、大衆をコントロールする

要は「同調させる」ことで『統一していく』やり方です。



人は「周囲の環境から影響を受ける」ことになる上に、

「周囲の環境に適応していく」わけで、

徐々に周囲に溶け込んでいきます。



つまり「大多数がそうに違いない」と思わせることができれば、

結果、大衆がある思想を持つことになるわけです。



簡単には、この「都合の良いように大衆の思想を制御する」ことを、

「大衆扇動」と言います。



一般的には「洗脳」なんて言い方をしますね。

古くから使われている古典的な手法です。



実際、「国家の統治」なんかでよく使われています。

「資本主義」を『肯定させて受け入れさせる』のも、

「社会主義」を『肯定させて受け入れさせる』のも、この1つです。




資本主義なんかよりもっとミクロな話をすると、

「細かな価値観・意見など」もまたコントロールされています。



例えば「平等」「普通」「現状維持」など、

よく考えればそうでもないですが、

なんか「漠然とした良いイメージ」が広がってませんか?



はい、こういうのです。

例えば「平等」とかなら「努力の有無を無視する」わけですから、

『公平さを欠く』ことを許す概念なので、別に良くないですよね。



でも、なんか「漠然と良いと思う」という、

こういう感覚のものは、思想の制御によって生まれます。




マスメディアと大衆扇動


現代でも、これは「マスメディア」の活用によって実行されています。

はい、要は『マスコミが、大衆の意見を創っている』んですね。



昔からそうですが、人の「一定の価値観」は統制されています。

その手段が『情報を伝えるもの』つまりメディアなわけです。




これは、主に3つの事実を利用して実現されています。

最初の1つの具体的な話については、↑の話。



その1つは『人のリソースが有限である』点。

そして1つは『不特定多数に情報が発信される』という点。

最後の1つは『人は環境に適応しようとする』という点。



以上の3点を利用して、

「マスメディア」は『大衆の意見を創ることができる』わけです。




ステップ1「情報源」


流れを追っていくと、

まず『人の情報の入手方法は有限』です。

つまり「知ろうとすること以外は、知ることができない」んですね。



しかし「マスメディア」に限っては、

『不特定多数の人間に、強制的に情報を与える』ことが可能です。



そう、つまり『多くの人間の情報源になることができる』わけで、

大衆は「多くの判断材料をマスメディアから得る」ことになります。




ステップ2「広がる」


そしてその情報は、たとえそれが「少数」であろうと、

『積極的に情報を発信する人物』によって、

その周りの人たちに伝わることになります。



こうすることで『大部分を占める無関心な人たち』にも、

文字通り、『強制的に情報を与えることができる』わけです。



その大部分の「無関心な人たち」は『知ろうとしない』ので、

『限られた情報で、印象を形成してしまう』ことになります。

そう、これが「無関心な人たちの意見」になるんですね。




ステップ3「馴染む」


こうなってくると、

人は『周りの環境に適応しようとする』ので、

必然的に「多くの人が似たような意見を持つようになる」ことに。



こうなるとわざわざ「違う」と言うメリットもなくなるわけで、

その結果、あえて『声高に主張できなくなる』ことになり、

その「漠然とした印象」は根付いていくことになります。




はい、こうして『統一された大衆の意見』が出来上がります。

んで、見ての通り、この「一連の流れのほとんど」は、

『マスメディアの制御下にある』んです。



これを見てわかる通り、

『大衆の意見をマスメディアは創ることができる』わけです。

んで、実際に創られています。



分かりやすいところだと「流行」とかがそうでしょう。

流行ってなくても、「流行ってるということにする」ことで、

『流行っているということしてしまう』ことが、できてますよね。



こんな感じで、『大衆の意見・思想』いわゆる「世論」は、

『マスメディアに制御できてしまう』んです。



んで、実際、今も昔も制御されています。

やり方の原理は↑ですね。






愚民政策


|| 政治への関心を無くすため、国民を馬鹿にする

『国民をコントロールして政治を行う』ための、

「1つの手段・やり方」のことです。



一番効果を得ているのは『娯楽を優先させる』方法になります。

『パンとサーカス』『3S政策』なんかが有名でしょうか。



簡単には「『食料』と『娯楽』を充実させる」ことで、

『その他へ目を向けなくする』という方法になります。



そう、この「その他」の具体例が「政治」なんですね。




見ての通り、知ってみれば明らかですが、

「マスメディア」には『強過ぎる政治的な力』があります。

それこそ、簡単に政治家を追い落とすことができる程度には。



この「大衆を操れる」という『強すぎる権力』ですが、

当然、『マスメディアを握る権力者は維持していたい』わけです。

好き放題できますから、まあ当然の話。



んで、そのためには、その「権力を抑制できる国政」に、

『抑制をさせないようにする』必要があるわけですね。



そのために、マスメディアにとって都合の悪い政治家については、

その政治家の『悪い印象を与える情報だけ』を流して、

人気を落とし、票を減らし、潰すわけです。




ただここには抜け穴があって、『国民が賢い』場合、

「マスメディアの権力を問題視する政治家」は潰されません。



むしろ、悪い印象を与える報道をすれば、

知名度が上がって、票が増えることになります。

国民は賢明な判断を下すので。



つまり『国民が賢いこと』というのは、

「権力を握る側」にとっては「不利益」になるわけです。



そう、「制御される愚かな存在」であった方が、

権力者にとっては都合が良いんですね。




そう、これが『愚民政策』の骨子になる動機になります。

要は「制御できない国民が怖い」から、

「制御できる愚者であって欲しい」わけです。




有名かつ古典的な事例としては、

↑で出した「パンとサーカス」なんかがあります。

これは栄えていた頃のローマ帝国の話ですね。



これは↑で語ったように「娯楽と食料を充実させる方法」で、

「食料」によって腹を満たし、生活面での不満を無くし、

「娯楽」によって退屈を癒し、時間を浪費させるという作戦です。



実際、これで「人々の関心は娯楽と食料に向かう」ことになり、

狙い通りに「権力者への不満を無くす」ことに成功したわけです。



とはいえ、これは長くは続きません。

当然、栄えている者がいれば、それを支える存在もいて、

その支える存在がいなくなれば、繁栄は終わりを迎えます。



馬鹿になった政治を担う人間はろくな案を出すこともできず、

ただいたずらに支える存在の負担を増やし続け、

結果、国ごと衰退していくことになりました。



そう、パンとサーカスは富める権力者を馬鹿にしてしまい、

国を崩壊へと導いたわけです。



あれ、どっかで見ている光景のような?

そんな感じのお話ですね。




現代版だと「3S政策」と呼ばれるものが。

これは↑の「国が壊れるという結果」を目的にしたものです。



これはGHQ統治時代に日本で出された「愚民政策」で、

Sports Screen Sex が由来になっています。



これも、要は「娯楽に夢中にさせる」ことによって、

「日本国民を馬鹿にして、国を崩壊へ導く」という、

パンとサーカスの手法を目的だけ変えて採用した政策になります。



これは「ガス抜き政策」とも呼ばれ、

要は暴動を避け、統治しやすくしようとした感じです。

「政治に不満・関心を持たせない」という方法で。



追記すると、これは国を積極的に売ろうとする連中が、

権力の中枢に潜り込んだ話でもあります。



というのも、この政策を実行しているのは、

そういった利益を追求することを最優先にする連中だったためです。

今の権力者の多くは、この後継者になります。



そして、この「実行手段」こそが、

「マスメディア」なわけですね。






娯楽主体の愚民政策


原理的には、『人の時間は有限』であるうえに、

『人は限られた時間を有効に使おうとする』ことから、

必然的に『娯楽を優先する傾向が強くなる』事実を利用する感じ。



また、わざわざ『頑張って学ぶ』ことは、

『娯楽に割く時間を減らす』ことになりますから、

必然、「手軽にできることを優先する」傾向が強まります。



結果、「手軽にお金を稼ぐ方法」に飛びつく傾向が強くなり、

周りに合わせて「ろくに考えずに就職する」人が増えるわけです。



そしてこれが『普通になる』んですね。



これに合わせて『仕事で時間と体力を使う』ことになり、

これで「やる気」などの『気力や体力がなくなる』わけで、

必然、その『代償』を「娯楽」に求めます。




このように、『娯楽にしか人の目が向かない』よう、

そもそも社会の構造がそのようになっているわけです。




追記すると、『娯楽にばかり目の向ける人が多くなる』わけですから、

全体から見て、『無能な労働者が多くなる』ことになります。



これによって、「相対的」に見ると、

『生産性のある仕事を生み出す人が減る』ことになります。

付随して『生産性のある、能力の高い労働者も減る』わけです。




また『生産性の無い人もまた、国で養う必要がある』わけですから、

必然的に『生産性のある人たちに負担が集中する』ことになり、

結果、『生産性のある人が国外へ逃げる可能性が高くなる』んですね。



となると、『生産性のある人たちは国から減っていく』ことになり、

『生産性のある仕事の量も減っていく』ことになります。



となると、残るのは「生産性に乏しい仕事」ばかりになり、

『生産性の無い人をうまく活用する仕事が増えていく』ことに。

そう、これがいわゆるブラックなやつのことです。




このように、国民が馬鹿になると、

ゆっくりと、しかし確実に国が衰退していきます。



そしてその「制御しやすい愚者」を生産するのが、

現代の「マスメディア」の役割になっているわけです。






愚かであることが普通になる


原理的な話をすると、

『多くの人』が「考える時間」「学ぶ気力」を失えば、

結果、『多くの人が愚かになっていく』ことになります。



そして『人は周囲の環境に適応する』ので、

その影響を受けて『学ばなくても、考えなくても良い』と、

そういう価値観を持つようになっていきます。



結果、『考えない・学ばない人』が多くなるわけです。

『周りがそうだから、それでいい』となってしまいます。

そう、そういう「普通が形成される」んですね。



このように、『多くの愚かな人』のせいで、

『愚かなことが普通のこと』になっていくわけです。



こうなると『人は環境に適応しようとする』わけですから、

賢い人であろうと、「バカのふりをする」ようになります。



なにせそういった「普通」が形成されることにより、

ある種の「同調圧力」が形成されてしまうので。




そう、こうして「作られた普通」は、

「愚かであることを強制する」ようになっていくんです。

足の引っ張り合い、とかいう表現に聞き覚えはありませんか?






愚者のレシピ


というわけで、愚者の作り方を見ていきましょうか。

まずは完成形を見てみます。



愚者とは、要は「疑問を持たず、考えない人」のことです。

他の表現としては「制御しやすい人」であったり、

「生産性の乏しい人」であったり、いろいろありますね。



この最低限の要件を満たすには、

とにかく「思考能力を低下させる」ことが重要になります。



これの実現のためには、

「思考する機会を与えない」こと。

「思考する理由を与えない」ことが大事ですね。



つまり、日常の「限られた時間」の中で、

その「思考そのものをさせない」という、

要は『考えないようにする』ことを実現すればいいんです。




これを実現するのは、

1つは『不満を持たせない』ための「物であふれた環境」ですね。

他にも『現状に疑問を持たせない』ための「適度な自由」とか。



この前提の上で、適度に「娯楽」を提供することで、

多くの『自由な時間』をそこに費やさせます。

これで間接的に、考えるための時間を奪うわけです。



また、子供が大半の時間を費やす「学校」では、

「考えさせない」ために『暗記中心の学習』をさせ、

子供の考える機会を大幅に削減します。



また、この「考えない勉強」を『普通』として認識させ、

現状に対する疑問すらも同調圧力で排除します。

加えて、勉強を、学ぶことを嫌いにさせるわけです。



こんな感じに環境を操作することで、

『現状に疑問・不満を持たない』上に、

『考えない時間を優先する』人間が量産できるわけですね。




これは『マスメディアを使って』実現されていて、

「娯楽の提供」ではテレビや映画なんかがそうで、

「教育」は、そのまま学校教育がそうです。




考えない人たち


思考能力の低い人たちは、当然ですが、

「現状を認識する」能力に乏しいです。



具体的には、「自分が社会の一員である」ということすら、

下手をすれば一度も意識したことがありません。



要は「自分がいま受けている恩恵」について、

『自分の生活が何によって維持されているのか』について、

つまり政治の恩恵について理解できていないわけです。



この最たる象徴的な価値観が、

いわば、自分さえよければ良いという「個人主義」でしょう。

これもまた、愚かさの象徴の1つです。




健全な例だと、「価値を提供しあう」関係があって、

これによって社会のシステムは維持されます。



逆に言えば、集団の恩恵が無ければ、

集団である必要はありません。



しかし現代の我々の生活を見て、

「集団による恩恵はない」とは、まず言えませんよね?



「水道」「ガス」「電気」なんかの生活基盤をとってもそうですし、

「道」「食料」などのインフラ、つまり恩恵を享受しまくってます。



これらは「集団であることの恩恵」、

つまり「政治の恩恵」による結果なわけです。



これについて、自分には関係が無いと、

そういう風に本気で思う人間がいたら、どうですか?

その人間は、控えめに見てもおかしいですよね。




しかし現状、「知らない・意識しない」ばかりに、

これを本気で思っている人間は少なくありません。

少し考えてみれば、無関係なわけが無いのに。




愚者の主張


疑問を抱く機会が無い現状でも、変えなくていい。

現状を改善するための考える能力が低くても、問題無い。

集団で今を成立させているという現状を、認識しなくていい。



こう思う人は、間違いなく『愚民』でしょう。

疑問を持たず、今を改善せず、現状を知ろうともしない。

自然に考えて、明らかに愚かですよね。



『知れば』これを良くないと思う人は多いでしょう。

しかし、多くの人は知らず、消極的に支持しています。



そう、知らなければ、考えなければ、

見方・捉え方・判断の仕方は変わってしまうんです。




私は、愚者であることが悪であるとは言いません。

なぜなら、愚民政策を行わずとも、

こういう人間は一定数存在するからです。



そしてその中の愚者は、悪意があるわけではありません。

ですから、悪ではなく、ただその時点では愚かなだけなんです。

ここは混同しないようにしましょう。







Web メディア


|| web上で情報を発信するサービス

いわゆるウェブサービス・インターネットのことですね。

『大量の情報発信者』による「情報媒体」になります。



けっこう細分化されています。

ただ、大枠は電子情報網です。




具体例の一つは「Webサイト・サービス」とかですね。

要は 個人ブログ とか 5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)とか。



他にも「SNS・ソーシャルメディア」もそうです。

具体的には Line とか Facebook とか Twitter などですね。



あと外せないのが「動画共有サービス」とかも。

一番有名なのは YouTube でしょうか。




これの登場により、

『情報の流れが複雑化』することになりました。



変遷を見ていくと分かりますが、

「個人」→「個人」の原始的な時代から始まり、

「個人」→「多数」から、ついに「多数」→「多数」になったんです。



これにより今現在は、一時的に『情報統制』から解放されています。

これに蓋をされていない今を、私たちは生きているんですね。



そう、私たちは「情報を選ぶ権利」を得ています。

個人的には、これは恵まれていることだと感じますが、

皆さんにとってはどうでしょうか?






インフルエンサー Influencer


|| 影響力を持つ人たち

世間に与える『影響力が大きい人物』のことですね。



私人なんだか公人なんだか分かりづらい人達です。

詳しくは「法学の基礎」をどうぞ。




話は変わって、これについてですが、

お金を儲けるための大事な知識の1つはこれになります。

要は「マーケティング」にとっての必須事項ですね。



『インフルエンサーになる』か、

それとも『インフルエンサーの知り合いを作る』か。

はたまた『インフルエンサーに依頼する』か。



ともかくインフルエンサーとの関わりがあると、

非常に効果的な「商品の宣伝」が行えます。



インフルエンサーという『多くの人に情報を発信できる人』は、

多くの人に「価値のあるものを知ってもらえる」ので、

その結果、お金が発生するんですね。




なので皆さん、お金を儲けたかったら、

「インフルエンサー」をどうするのか考えてみましょう。

といってもまあ、なんにせよ楽な道はありませんが。