|| 信用の元に成立するもの
一言で言うと「価値あるものと交換できるもの」のこと。
『経済を円滑に行うためのもの』とも言えます。
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目次
お金の無い経済『物々交換とか貸し借りとか』
財産『価値のあるもの』
お金『富・価値あるものと引き換えることができるもの』
資産『財産の中でもお金になるもの』
クレジット『後で手に入るという信用』
金融『持ってる人が持ってない人に金を貸すこと』
利子『金融を行う人が貰える報酬・利益』
使われない資産『貯えのほとんどは保持される』
現金を直接渡さない経済『盗難・紛失などのリスクを回避』
為替『現金以外でお金を決済する方法のこと』
変わっていくお金『技術の発達』
団体から個人へ変わる金融『銀行から個人へ』
お金の稼ぎ方『簡単に真似できない技術』
『お金』とは何か。
意外に、これをきちんと説明できる人は少ない気がします。
まあこれは仕方のない話です。
なにせ、学校ではきちんと教わりません。
教える側も、たぶんよく分かっていないのでしょう。
ともかく、少なくとも我が国に住まう人たちのほとんどは、
この「お金」というものに日常的に触れています。
資本主義経済に生きている以上、それは必然と言えるでしょう。
しかしはて、そのはずなのに、
なぜか『お金』についてはよく分かっていません。
なぜ「必要」なのか。
なぜお金は「価値がある」のか。
なぜお金を得ることで「富が増える」のか。
こういった原理的な話を、なぜか学校では教えません。
一番最初に教えるべき項目だと思うのですが、不思議。
資本主義社会で生きてるはずなんですけど。
ともかく、そんな感じですよね。
よく分からないけど、『価値があると信じている』もの。
これが多くの人にとってのお金なわけです。
結論から行きましょう。
『お金』とは何か。これを一言で表すと、
「価値あるものと交換できるもの(紙とか硬貨とか)」という感じ。
より具体的には、例えば「金本位制」なら、
『金と引き換えられるチケット』という感じ。
現代においては、交換を行うのは『中央銀行』で、
同時に、ここが「貨幣(お金になるもの)」を作っています。
この『中央銀行』が「価値を保証」しているわけですね。
つまるところ形式的には、
「お金(価値がある)」→「もの(価値がある)」ではなく、
「もの(価値がある)」→「お金」なわけです。
要は「もの・財産(価値がある)」を、
「お金(価値を定める数字)」に変換している感じ。
これによって、
『財産(価値あるもの)と引き換えることができる』という、
『信用』によって、「結果的に」お金に価値が生まれるわけです。
これで分かると思いますが、
例えば「価値あるものと交換できないお金」は、
『価値の無いお金』になります。
極端な例としては、例えば『ものが無い』時、
「お金」はなにとも交換できません。(店が無い場所とか)
こうなると、なんの価値も無くなるわけですね。
ですから「お金」というものは、
『必ずしも、価値が保証されているわけではない』点に注意。
「価値がある」のは、あくまで『価値のあるもの・財産』です。
まず『価値のあるもの』がなければ、
それを「お金と引き換える」ことはできません。
これから分かることですが、
要は「お金が欲しい」なら、
『価値のあるものを創る』のが確実なわけです。
とまあ、こんな感じの話をこれからしていきます。
知っておいた方が良いと思うので、是非見てやってください。
お金の無い経済
|| 価値を数値化しない財産のやりとり
いわゆる「物々交換」と言われるものがこれ。
これは直接、財産と財産を交換する感じになります。
例えば「水汲み」と「食料の確保」で分けると、
「水」と「食料」を交換して生活を維持する感じ。
これがいわゆる、原始的な経済になります。
経済の基礎と考えてもらって良いです。
ざっとまとめると、
「価値あるもの」と「価値あるもの」を『交換』する。
これが経済の基礎になります。
個人単位であれば、これは特に問題ないはずです。
まあ、武力的なアプローチがあればその限りでもありませんが、
例えば小さな集落の中であれば、特に問題はないでしょう。
小さな集団では役割が決まっているので、
それぞれの人がなんらかの価値を生み、
それらを共有することで生活できる環境を構築します。
なので、ここまでは特に問題は出ないはず。
しかし、いろいろと多くなってくると様々な問題が出てきます。
というのも、例えば「財産の量が多い」とき、
取引をする場合、「移動させる手間」が掛かります。
これが例えば金 100kg とかになるともう大変です。
お米 100kg でも水 100kg でも同じく大変。
これらが頻繁に移動させられると、
結局、トータルで見るとそんなに移動していなかったり。
例えば「100と100を移動」させて「90と90を移動」とか。
トータルでは10の移動ですが、手間は190かかっています。
こうみると、移動させる手間は省きたいですよね。
それに、ほとんどが使われずに貯め込まれる場合を考えると、
いちいち取引の度に移動させるのは無駄と言えます。
必要な時に、必要な分だけで十分なわけですから。
他にも「交換するためのものが後からしか用意できない」場合、
↑のにも絡みますが、例えば移動させるのが大変であったり、
すぐに用意することができないものであったり。
こうなると、いわゆる「物々交換」は非効率に感じます。
無駄が多すぎますよね。
はい、こうして考えられたのが「お金」になります。
いわゆる『価値あるものと引き換えることができる』ものとして、
このような「数字」が発明されました。
これによって、経済は効率化されたわけです。
これまでと違い、財産の全てを移動させる必要は無くなりました。
代わりに、「財産を貰える権利」で取引するようになったわけです。
この『権利』を「数値化したもの」がお金なわけですね。
ちなみにこの「貰える権利」を『債権』と言い、
逆に「与える義務」を『債務』と言います。
お金 Money
|| 価値があると信じる、暗黙の取り決め
これは、要は「財産を数値にしたもの」です。
相応の数値を消費して、相応の価値あるものと交換できます。
んで、「値札のついた財産」を『資産』と呼ぶ感じ。
区別する理由は、「全ての財産をお金に変えられない」から。
この点を、ちょっと押さえておきましょう。
話は戻って、とりあえず順番の確認を。
「お金」に『価値が生まれる』順序を押さえておきます。
現代に生きる我々にとって、
「お金」というものは「初めから価値のあるもの」でしたが、
これは、実はおかしな認識です。
まず「価値あるもの」があって、それが「お金」になっています。
この逆は、「必ず成立するというわけではない」んです。
その理由を大雑把に言うと、
「価値あるものと交換できる」ことが保証されていないならば、
必然、お金そのものに価値はありません。
しかし「価値あるものと交換できる」ことが保証されていれば、
お金に価値が生まれます。
つまるところ『価値あるものと交換できる保証』の有無で、
「お金の価値」の有無は決められるわけです。
ですから、「お金」そのものに価値があるわけではありません。
『価値の保証』があって、結果的に価値が生まれるわけです。
感覚とはズレますが、これをしっかり押さえておきましょう。
信用・クレジット Credit
|| お金でのやり取りを認めている感覚
いわゆる「それでいいよ」って感じで『受け入れる』こと。
当然の話ですが、「価値あるものと交換できる保証」は、
『信用』のもとにしか成立し得ません。
例えば「いっぱいお金を持っている」としましょう。
しかし「そのお金が使えない」となった場合、どうなるでしょうか?
(辺境、戦時などでものがない場合とか)
当然ですが、そうなった「お金」は、
『価値あるものと交換できる』という「保証」を失います。
つまり、無価値になるわけです。
これはどのような時代においても起き得ることです。
ともあれ、知ってか知らずか、資本主義社会においては、
ほとんどの人が「お金」と『価値あるもの』を交換します。
はい、いわゆるこれが『信用』というやつです。
「お金は価値あるものと交換できる」と、信じています。
だから、お金に価値が生まれているわけです。
「お金のやり取り」は日常で行われますが、
これは『価値が失われない』ということを、
疑いもせずに信じているからこそ成立してるわけですね。
お金と信用
俗に「お金」の話をされるときに、
「クレジット・信用」の話が来るのは、こういう理由です。
人が『お金は価値があるもとの交換できる』と、
そう『信用する』からこそ、経済活動が成立するんですね。
ですから、「全てのお金」は、
体面上、『価値のあるものと交換できる』わけです。
これは基本的に「国(厳密には中央銀行)」が保証します。
しかしはて、ここで疑問が生まれます。
これは、本当にそうなんでしょうか?
「全てのお金」は、本当に『交換できる』んでしょうか?
というのも、そもそもの話として、
『価値あるものの総量』と『お金の総量』は同じなんでしょうか?
それを考えると、少しゾッとしませんか?
いやだって、「価値は揺らいで変わる」もので、
『お金』はそれを表す「数」でしかないわけです。
であれば、その「数」は、
果たして、いったい何を基準に「決められる」んでしょうか?
考えてみれば、それは「価値あるものを売る人の主観」で、
であれば、『絶対的ではない』わけで、
となると、必ず『誤差』は存在します。
そう、『お金の総量』と、
『価値のあるものの総量』は、同じではないんです。
はい、というわけで、この辺りの話を詳しくしていきましょうか。
同じじゃないなら、どっちが多いか。
それが気になりますよね。
以下、その具体的な話をしていきます。
結論としては、「お金」の方が圧倒的に多い、が答えです。
ですから、「全ての人」は、
『持っているお金に見合った価値のあるもの』を、
『受け取ることはできない』んですね。
「受け取ることができる人」はいますが、
同時に「受け取ることができない人」も出てきます。
つまり、全ての人に価値が保証されているわけではありません。
必ず「価値あるものと交換できない人」は存在するんです。
え、じゃあ破綻すんじゃないの?
ってなるかもしれませんが、大丈夫です。
そこはうまくできています。
ただ、もちろん破綻することはあります。
いわゆる「恐慌」と呼ばれているものがそれですね。
というわけで、↓はそんな感じの話。
金融 Finance
|| お金を腐らせず、たくさん回す仕組み
いわゆる「金貸し」のこと。
「金融」という言葉の由来は『お金を融通する』です。
これは「経済の合理化・効率化」のために不可欠な要素になります。
ともかく、順番に話していきましょうか。
結論としては、「お金」と『金融』は切り離せません。
その理由や意味を説明していきます。
1. お金が発生する前の段階
そもそもの話として、まず「お金」というのは、
『使う人』がいなければ「出回る」ことすらありません。
いかに優れたシステムであろうと、利用者がいなきゃ無意味です。
ですから何をおいても、まずは使われないことには話になりません。
2. お金を使ってもらうには
当然の話として、なにより「お金を受け取る人」が必要で、
そして「お金を渡す人」もまた必要です。
この2つがなくちゃ始まらない。
はい、ここで『金融』が出てきます。
いわゆる「お金を渡す・融通する」側がこれですね。
んで、そんな彼らですが、
最初は「仲介する人」として出張ることになります。
具体的には『財産とお金を交換する』立場として。
この「お金を貸す側」は、基本的には裕福です。
少なくとも『財産を他人に貸せる』程度には財産を持ってます。
なので、ある2者の取引を仲介して、
双方に「財産を貸すことができる」わけです。
そこで、『財産をいつでも交換できるもの』として、
「お金になるもの」が作られ、使われることになる感じ。
見た目的には株券とか契約書とか、そんなの。(この時点では)
ともかく、これはまず『財産を貸す』ことから始まります。
特殊なのは、この「貸し方」ですね。
というのも、『財産を所有する権利』の代わりに、
財産に見合った『代わりのもの(お金)』を渡すんです。
こうすることで、直接的に『財産を移動させない』で、
ただ「財産の所有権だけ」が動くことになります。
財産の『所有する権利』の流れとしては、
「A」→「貸す仲介人」になります。
ここで「お金」と「財産」が交換されるわけですね。
ただしこの時点では、いわゆる「担保」するだけで、
直接的に「A」から財産を得るわけではありません。
得るのはあくまで『財産の所有権』です。
んで、お金の流れは、
「貸す仲介人」→「A」→「B」です。
感覚的な言い回しをするなら、「A」が「B」に、
あそこに預けたから、これを見せて受け取って、という感じ。
見た目の上では「証明書」のようなものを渡す感じです。
この「証明書」は『貸す仲介人(金融業者)』が受け取り、
財産と交換されます。
これで「B」は、
いつでも「貸す仲介人」から財産を得られるようになりました。
「お金の受け渡しだけ」で取引が成立したわけです。
んで、その「お金」ですが、
「B」は自分以外にも渡すことができます。
なぜなら「貸す仲介人(金融業者)」が、
必ずその『お金と財産を交換してくれる』からです。
ですから、それに見合った「財産」と「お金」を交換でき、
「A」や「B」以外にもお金は出回っていきます。
これで、取引が「数のやり取りだけ」で成立するわけですね。
取引を行った2者は、両方とも「財産を手にできる」ので。
こんな感じで、『財産と交換できるもの』を渡して、
それが「財産の代わり」になります。
こうすることで、取引をする人たちは、
『いつでも財産と交換できるもの』を手にするだけで、
財産の直接的な受け渡しをしなくてもよくなるわけです。
こうして、「お金」は『価値を得る』ことになり、
ゆっくりと出回っていきます。
3. 多くの人が使い始めるには
↑の段階では、まだ「お金」は統一性がありません。
あくまで「一つの仲介する人」にだけ通用するものになります。
まだ「地域限定の引換券」みたいな感覚が強いです。
というのも、この時点では「あの人が引き換えてくれる」段階です。
つまり『その人を信用している人』と以外には、
この「お金」は通用しません。
ここから少し飛躍しますが、ここで国が出てきます。
結論から行くと、「お金」の『価値を一定にする』感じ。
当然ですが、『仲介する人(金融業者)』は複数いて、
それぞれに独立した単位での取引を行っています。
「お金」となる、例えば貴金属・証書・紙・硬貨・物品も、
その内容や大きさ、最小単位から、まるで異なる上に、
『交換する』時、その指定された金融業者にしか請求できません。
面倒な話、例えば「L」「M」「N」のとこの通貨があったとして、
これを『財産に交換する』ときは、それぞれの場所に行く必要が。
また、価値もそれぞれ異なりますから、
その数だけ、「お金」の価値を測る必要があります。
要は「1」が無いんです。
どういうことかというと、例えば「お金の最小単位」が、
「L」さんの1は「M」さんの3で、
「M」さんの2は「N」さんの5とかだと、大変。
\displaystyle 1:3=\frac{2}{3}:2
\displaystyle L:M:N=\frac{2}{3}:2:5
となるわけで、2/3 は通貨では存在しません。
ですからこの場合、一度「M」さんを経由しないといけません。
このような事例は「金融業者の数」だけ存在するので、
全ての比率を把握していないと、
自分の資産の量がよく分からなくなります。
こうなると、明らかに不便でしょう。
なにより、『信用の度合い』もまた異なるわけです。
金融業者によっては交換が遅かったり、ミスが多かったり。
こんな感じで、『お金の信用』もまた異なるわけですね。
これではせっかくのシステムも、なんだか微妙?
というわけで、ここで「国」が出てきます。
はい、この『国』が「1を定める」ことで価値を統一し、
更には『信用のされ方を均一』にするわけです。
これで「既存のお金」を『全て変換できる』ようになって、
『財産との交換』もまた「国が保証する」ようになりました。
こうなると、国による『統一されたお金』の利用が増えていき、
「既存のお金」は、その『統一されたお金』に変わっていきます。
んで、「既存のお金」は「国」が預かることになるわけですね。
これで国は『金融業者』の『財産の所有権』を得られるわけです。
とまあ、こんな感じで『統一されたお金』が誕生し、
同時に「広く使われる」ようになっていくわけです。
なぜ金融は成り立つのか
そもそもの話として、『金融業者のメリット』とはなんでしょうか。
いったい、なぜこのような「仲介」を行うのでしょう?
ただ単に「財産を貸すだけ」であると、
「金銭を作る」「財産を渡す」という手間・コストだけ掛かり、
得られるものはありません。寧ろ損。
ざっとまとめると、
「所有権とお金を交換(お金を貸す)」
→「お金で取引できる」ように。
この流れで、経済活動が円滑になった、という感じ。
この時点では、「金融業者」は得も損もしていません。
これで終われば、単なるタダ働き・ボランティアになってしまいます。
寧ろ「所有権が無くなる可能性」というリスクがあるのでマイナス。
付随して、「お金を作る」コストや、
「お金と財産を交換する」コストを背負うことになります。
そう、これだけ見ると、なんの得もしていません。
寧ろ「お金作り」と「交換」の手間が増えているだけです。
当然の話として、なんらかの「手数料」をとらないと、
この『金融業者の利益・メリット』はありません。
そこで、貸すメリット、つまり「利子」というものが出てきます。
これは借りた金の量、返済期間などに応じて発生する「手数料」です。
他にも「交換・引き出し」の手数料やらなんやらで、
いろんな「手間」に値段がついています。
「金融業者」は、これを受け取ることで利益を得られるわけです。
いわゆる↑で示した「コスト」を、これで回収するというわけ。
身近な話をすると、要は『銀行』の話をしています。
彼らこそが、↑で話している「金融業者」の代表例なわけです。
そしてこの中でも「国が管理している銀行」こそが、
『統一通貨を作る』ことができる「中央銀行」になります。
使われない財産
とはいえ、これではまだ「多くの金」を生み出すには不十分です。
現状では、あくまで「等価交換」+「手数料」になります。
これだけでは「多くのお金」が人々に流れません。
では、「多くのお金を人々に流す」にはどうすればいいか。
どうすれば、「多くのお金を生み出せる」のか。
これについて考えてみましょうか。
結論から行くと、
これはある2つの『原理・事実』を利用しています。
その原理・事実とは、
1つは『資産の大半は使われずに貯め込まれる』ということ。
1つは『お金を全て資産と交換することはほぼない』ということ。
いわゆる「貯金(資産に変えていないお金)」であったり、
また「所持品(お金に変えていない資産)」であったりの話です。
1. 資産にしていないお金(貸すもの)
当たり前ですが、お金を手に入れれば、それは使われます。
主に「生活の維持」だったり、「嗜好品」などに。
しかし当然ながら、『全て使われるわけではない』わけです。
ある一定数のお金は、「貯金」になります。
はい、これが『資産に交換されていないお金』になります。
これは、ほぼ間違いなく存在すると言えますよね?
確認しますが、『資産はお金に変えることができる』し、
『お金は資産に変えることができる』んです。
しかし、『全てがお金になる』ことも、
同時に『全てが資産になる』こともほぼ無いわけです。
はい、というわけで、
いわゆる『余ったお金』の存在がここで確認できました。
ここで確認しておきますが、
果たして、この『余ったお金』は、普通どうしますか?
当然ですが、「貯蓄する」のは前提として、
では、『どういう風に貯える』んですか?
はい、というわけで、ここで『金融』が出てきます。
現代的な感覚で言えば、「銀行」なんかが良い例でしょうか。
そうです。人は『余ったお金』を、
「そのままにはしない」んです。(する人もいますが)
ともかく『腐らせておいても良いことはない』ので、
『余ったお金』も、ちゃんと有効に扱いたいんですね。
そう、お金は回ってなんぼですから、
『余ったお金』も、本来なら使いたいわけです。
では、これをどうやって使ったらいいのでしょうか?
答えとしては、要は「銀行」がそうですね。
他にも、「投資」と呼ばれる行為もこれに当たります。
さて、ではこの『余ったお金』ですが、
当然、これは『誰かに貸すことができる』わけです。
はい、いわゆる「金融」ですね。
当然、個人単位で行っても良いです。
しかしあっちこっちに手を出すと管理が大変ですし、
なにより、『全てを投資に回せるわけではない』ですよね?
やはりというかなんというべきか、
一定数、必ず『余ったお金』は発生するわけです。
この中でも特に、「使わないお金」が。
そこで、いわゆる『お金を預かる組織』が出てきます。
はい、「銀行」です。
ここでは、「お金を預かる」わけですが、
当然、それには「引き受け」「引き出し」という手間が。
ですから、なにか利益を得る方法が必要になります。
ではなにで利益を上げるかというと、
それを「投資に回す」ことで利益を得ます。
他にも当然、「引き出す」時の「手数料」などでも。
こうすることで、
『余ったお金』は「銀行が使える」ようになり、
無駄なく経済が回せるようになります。
といっても、これだとまだ、
銀行に『余ったお金を預ける理由』に乏しいです。
「銀行」や「全体の経済」は潤いますが、
別に『自分で持っていても良い』わけですから、
わざわざ「手数料が必要」な銀行に預ける理由はありません。
はい、つまりは『預けてもらう工夫』が必要なわけです。
要は「預ける側の利益」ですね。
結論から行くと、いわゆる「利子」がこれに当たります。
『銀行にお金を預ける人』に、『銀行が』利子を渡すわけです。
要は「銀行が借りる」形になっています。
こうすると、『銀行にお金を預ける人』は、
『余ったお金を銀行に預けるだけ』で、利益が得られます。
こうなると、『余ったお金』を預けないのは損です。
多くの人が「銀行」にお金を預けるようになります。
「投資」の原理もこれと似たようなものです。
というか、原理的には銀行に預けるのとモデルは同じ。
「投資」の場合では、『余ったお金を貸す』ことで、
貸してもらった人が『利益の一部を上乗せ』して返す感じ。
「株券」の配当なんかもこれ。
これで「投資してもらった側」は「お金を使える」ことになり、
「投資した側」は「なにもせずに利益を得る」わけです。
まとめると、『余ったお金は存在する』から来て、
これを『無駄なく使いたい』ときます。
んで、『使う人に預ける』とくる感じ。(銀行・事業主とか)
んで、『預けてもらいたい』わけですから、
→『預けてくれる人に利益を用意』(利子・配当など)
→『余ったお金が集まる』→『余ったお金が有効活用』
とまあ、大雑把にまとめるとこんな感じ。
これが『金融』の基礎的な原理になります。
2. お金になっていない資産(借りるため)
↑と同じように、『資産の全て』は、
「全てお金になっている」わけではありません。
例えば「生活に必要なもの」などは資産ですが、
これらは基本的にお金になっていませんよね?
このように、『お金になっていない資産』は必ず存在します。
そしてこれは事実として、「いつでもお金にできる」んです。
代表的なものは、やはり「不動産」ですね。
いわゆる「土地・家」などの、そこから「動かない資産」。
このようなものは「資産」でありながら、
基本的には「お金にはしない」ものになります。
とはいえ、これらには「資産としての価値がある」ことは事実。
であれば、やはりそのままにしておくのはもったいないです。
これについては、基本的には「固定資産税」などで活用されます。
これは「国から借りている」とする考え方なので、ここでは割愛。
他にも代表的なのだと、「将来的に稼ぐだろうお金」とか。
いわゆる「返済能力」というやつがこれで、
当然、これもまた資産価値があります。
というわけでこれについて『金融』の観点から見ていくと、
いわゆる「お金になっていない資産」というものは、
当然の話として、『お金にすることができる』わけです。
ここで「金融」の出番です。
↑では「貸す側」の話をしましたが、
今度は「貸してもらう側」の話をしていきます。
当たり前ですが、何の保証もなくお金を貸すのは、
かなり特殊な事例になるでしょう。
というか返してもらえないのが前提なら、それは「譲渡」です。
ほとんどの場合、「お金を貸す」からには、
「お金を返してもらえる」という『信用』が必要です。
当たり前ですが、「金融」は商売です。
「返してもらえない」なんていう損をしたいはずありません。
「貸す側」の立場としては、必ず『返してもらいたい』んです。
となると、「貸す」からには、その「保証」が必要ですよね。
いわゆる「確実に返してもらえるだろう」という『証』とか。
整理すると、
「お金を借りた」のなら、「お金を返すべき」です。
しかし、現実的には必ずしもこれが成立するわけではありません。
そう、いわゆる「保険」のようなものは必要になるわけです。
「返さない」というリスクを回避するためのものが。
ここで、『お金にしていない資産』が出てきます。
はい、これを「返せない時に渡す」わけですね。
こういうのを、用語では「担保」と言います。
こんな感じに、『金に換えていない資産』もまた、
「返せない時に代わりに渡すもの」として、
「借りる」ことで「お金」にすることができるわけです。
こうすることで、
「お金にしていない資産」もお金に変えることができます。
そしてここが重要なんですが、
これは感覚的には「未来のお金」になります。
なにせ、「未来で返す」ことで帳尻が合うわけです。
「借りる」時点では、まだ「価値あるもの」は存在していません。
未来で「返せない」場合に資産を手放すことで帳尻は合いますが、
それはあくまで『価値ある資産がある』場合の話。
例えば「収入」などから考えられる「返済能力」を考慮して、
「ほぼ確実に将来で得られる」から貸す、とする場合、
この時点では、まだ「価値あるもの」はありませんよね?
「担保」についても本質的には同じことで、
これは「まだお金になっていない」んです。
つまりこれも「将来的にお金にするかもしれない」という、
いわば『未来のお金』になるんですね。
あれ? じゃあ「今あるお金」って、
「今すぐに、全部を、価値あるものに交換できない」んじゃ?
こう思う方もいらっしゃるでしょう。
というわけで、これについて詳しく見ていきましょうか。
価値あるものより多くなるお金
ここまでで『お金』と『金融』の基礎について見てきました。
これから分かる通り、「お金」はあくまで『交換券』で、
重要なのは「価値のあるもの」です。
つまるところ「お金」は、
『確実に価値あるものと交換できる』ことが前提で、
これができないとなると、「信用」が失われます。
というわけで、「本当に交換できるのか」について、
ここできちんと確認しておきましょう。
「お金の価値」を『信用したい』ですからね。
ともかく↑で話したように、
「お金」は『価値のあるものと交換できる』わけです。
しかし仮の話として、
「現時点で全て交換できるのか」を考えた時、
果たして、本当に交換が可能なんでしょうか?
確認のために、事実を一つ一つ押さえておきましょうか。
当然ですが、「価値あるもの」は『実在するものだけではない』です。
例えば『将来的に用意できるもの』『消費されるもの』、
無形財産として『誰かに何かをすることを要求できる権利』など。
「労働・サービス」もまた『価値がある』わけですから、
これも「お金」に変換することが可能です。
次に、『金融のシステム』は、
「ほとんどの資産をお金に変えられる」という事実について。
これは↑で語ったように、
「お金になっていない資産」も、
『担保にする』ということでお金にしています。
そしてこれは当然、
「未来で発生する資産」もまた同様にそうです。
分類すると、『現存する資産』に加えて、
『過去に存在していた資産』や、
『未来において発生する資産』もまた、
『現時点』で、「お金になってる」わけです。
しかし、「現時点でのお金」というのは、
あくまで『現時点に存在している資産と交換できる』わけで、
当然、「未来で発生する資産」まで得ることはできません。
そう、問題となるのは、
『未来において発生する資産』が、
「現時点でお金になっている」という点です。
『金融』のシステム上、もとい「お金」の性質上、
「財産の交換を後回しにする」わけですから、
この性質は必然です。
特に「担保」などの形式をとる以上、
性質上、これは「価値を得るはずのお金」で、
本来であれば、『将来的に価値が生まれる』わけなんです。
そう、『お金』は「価値あるもの」と、
『後で交換できる』という「価値がある」んです。
しかし現実的には、
『後で交換できるから価値がある』ものに、
「現時点で価値がある」となってしまっています。
そう、「お金」というのはこうなってるわけです。
なので、「お金の大部分」は『現時点で交換できない』というわけ。
なぜなら、『価値あるもの』は、「現時点では不足している」から。
はい、つまるところ、この「帳尻合わせ」が必要なわけです。
「不足している」という現状をうまく回避して、
「お金の価値」を保証しなくてはいけません。
結論を先に言っておきますと、
「値段を変える」ことでこれは解決されます。
「少ないなら高く」して、
「多ければ安く」する。
こうすることで、↑の『資産の不足』は解決されます。
1. 過去に存在していた資産(消費・紛失)
身近な例でいくと、例えば皆さんは、
生きるために「食べる」し「飲む」ってことをします。
そして、これを行うために、
「食べ物・飲み物」に対して「お金を支払う」わけです。
受け取る側もこれを了承し、取引は成立します。
しかし、ちょっと待ってください。
「資産」→「お金」にはなりましたが、
これ、「お金」→「元の資産」にはならないですよね?
「土地・家・貴金属・所有物など」なら、
「資産」→「お金」から、「お金」→「元の資産」にできます。
ここでは「資産の量」と「お金の量」は変わりません。
しかし「食べ物など」の『無くなるもの』については、
「資産」→「お金」にはなっても、この逆は成立しません。
なぜなら「資産は消費されて消えている」わけですから。
この時点で、「資産の量」と「お金の量」は、
資産の量\,\,<\,\,お金の量
となっています。
あれ? となるかもしれません。
といっても、「お金」というのはよくできていまして、
こうなってしまった場合にも解決手段は存在します。
結論から行くと、これは『値段が変わる』ことで解決されます。
つまるところ、「お金の価値が変わる」わけです。
これは感覚的に理解できることと思います。
当然ですが、「数が少ない(希少)」であれば値段は高く、
逆に「数が多い」なら、値段は安くても特に問題はありません。
はい、とまあこのように、
「増えたお金の価値」というのは、『下がる』わけです。
逆に「減った資産の価値」は、今度は上がります。
こうすることで良い感じに帳尻が合う、という感じ。
といっても、これは完璧に行えるわけではないのですが。
まとめると、「必要とされる(需要がある)」ものの中でも、
『無くなってしまうもの』については、
その「価値が変わる」わけです。
具体的には『値段が変わる』ことになります。
貴重・希少・数が少ないなら高くなり、
余ってる・数が多いなら低くなります。
これは相対的に見て、
「お金の価値が変わった」と解釈できるわけです。
特に「消費されるもの」については、
『消費された時点』で、「お金の価値が下がる」んですね。
つまり「価値あるもの」が減れば、
「値段が上がる」ので、お金の価値が下がります。
しかし、「お金の絶対量」に変化は無いわけです。
ただ「価値」が変わっただけで、
「お金の量」それ自体に変化はありません。
「お金の価値が下がる」場合においては納得いただけたかと。
というわけで、次は「お金の価値が上がる」話について。
2. 未来で発生する資産(創出・権利・義務)
↑の話は「資産が減る」話ですが、
当然の話として、「資産が増える」場合というのは存在します。
というか、増えないと減り続けるだけですからね。
先に具体的な話をすると、
例えば『確実には保証されていない資産』であったり、
他にも『見えない資産』などがこれに当たります。
代表的な例だと、『人間の労力』なんかがそうですね。
これは「見えない資産」になります。
「確実には保証されていない」ものであると、
要は「担保」などがそうです。
具体的には「権利」や「返済能力」などがこれ。
とまあ、このように『未来で価値が生まれる』わけですから、
これを「増える資産」と考えることができます。
まとめると、これは「現時点では存在しない」んです。
しかしこれが「未来において生じる」と『仮定』され、
『金融業者』は人へと「お金を貸す」んですね。
要は「まだ存在しない価値あるもの」→「お金」です。
当然ですが、これは「お金」で手に入れることはできません。
つまり見た目の上では、「無」→「お金」なわけです。
『存在が確定する』まで、お金と交換することはできません。
次いで、『見えない価値あるもの』について。
この代表例は、『労働・サービス』です。
これもまた、「無」から「お金」の流れを経ています。
人間が働く → 価値あるものが生まれる → お金にできる。
この流れを辿るわけですが、
例えば「長期間働く必要がある」場合であると、
「価値あるもの」ができるまで、労働はお金になりません。
要は「労働」は、「価値を生むまで」は無価値なんです。
しかしこれに対するお金は支払われますよね?
この時点の話でもまた、「無」→「お金」なわけです。
以上、大雑把にまとめると、このケースでも、
『未来で得られる価値あるもの』を、
『現時点でお金にできる』ので、お金は増え続けます。
そしてこの場合でも、やはり「お金の総量」は変わりません。
『増えたら価値は下がる』わけですが、
「お金の量」それ自体に変化は無いわけです。
一応補足しておくと、
「お金の量が減る」のは「お金が無くなった場合」(燃えるとか)で、
「お金の量が増える」のは、「お金を作った場合」です。
無くなる、というのは非常に稀なケースですし、
無くなれば作れば良いので、基本的に増え続けます。
増える場合というのは、要は「借りる」時ですね。
このときに「未来の分」が必要になるから、増えるわけです。
ですから、『お金の総量』は、
『価値あるものの総量』よりも「遥かに多く」なります。
その大雑把な理由は、
「無形財産」やら「将来的に存在する財産」が想定されてるから。
これらは消える場合が考えられ、実際消える時があります。
具体的には、「未来で生まれる財産」をお金にしているので、
「現在」+「未来(現時点では無)」の資産が、お金にされています。
なので必然、「確実に資産に変換できるお金」は限られるわけです。
つまるところ、ほとんどの人がお金を使う場合、
「お金の量」は、必ず「価値あるものの量」を超えることになります。
とまあ、お金についてはこんな感じ。
こういう経緯を経て、我々はお金で経済を回しているんですね。
感覚的に言うと、要は「先送り」です。
あらゆる問題を後回しにしている感じ。
清算できれば良し。
しかしほとんどは棚上げ、という感覚。
いずれにせよ、優れたシステムであることに変わりありません。
「未来」を前借りできているんですからね。
そりゃあ効率が良いはずです。
現金を直接渡さない経済
|| お金のシステムを更に効率的に
最後に、今度は「お金の受け渡し」すら省略するお話を。
これも単なる事実として、
「お金は持ち運びが簡単」で取引を便利にしますが、
「盗難・紛失」のリスクは避けて通れません。
「財産・実物」が盗まれるリスクよりは軽微とはいえ、
現物か、権利か、という違いしかありません。
お金を取り戻せないのなら、結果は同じになります。
特に「大量のお金」を使わざるを得ない場合、
例えば「国の取引」であったり「大企業の取引」であったり、
こういう場合、盗難や紛失のリスクは洒落になりません。
そう、できることなら「お金を移動させない」で、
しかし「お金を移動させた、ということにしたい」んです。
はい、まあこの流れでなんとなく分かりますが、
そういうのが生まれました。
具体例としては、例えば「小切手」とかがそうです。
これは『後でお金に交換できるもの』で、
交換は主に銀行などが行います。
この取引についてざっとまとめると、
「お金と交換できるもの(小切手とか)」を渡して、
『後でお金と交換できる』ようにする、という感じ。
これにも用語が存在して、
『現金を渡したことにできるやり方』を「為替」と言います。
これの実物である「小切手・証書」などは「為替手形」です。
とまあ、こんな感じですね。
これもまた、手間を省略する考え方です。
昨今では「電子マネー」などの登場があるように、
この「お金」も形を変えつつあります。
ですから、「お金」の原理をきっちり理解し、
どんな形をとっても「価値」を見失わないようにしましょう。
変わっていくお金
時代の流れ、技術の発達と共に、
「お金」というのは形を変えてきました。
最初は「財産」が直接的なお金の役割を果たし、
それが「保存の利く農作物」「金」「銀」などになり、
「木彫り」「紙」などに形を変え、今では「ただの数字」です。
「紙幣」や「硬貨」を使う文化はまだ残っていますが、
基本的には『銀行から引き出した』もので、
銀行に貯まっているのは『ただの数字』でしかありません。
今では「クレジットカード」やら「ICカード」やら、
『金銭を触る』ことすら省略できる時代になりました。
「偽札」などが横行する国では、
もはやそちらの方が「安全性」の面から見ても確実で、
実際に主流になっています。
我が国は偽札が作りにくいという観点から、
当面の間、「紙幣」は作られ続けるのでしょう。
しかし時代が変わり、世代が変わっていくことで、
この文化も廃れていくことになるのだと思います。
なにせ明らかに「紙幣・硬貨の利用」より、
電子マネーの方が「安全性・手間」などの点で優れています。
なにより大きいのが、「紙幣・硬貨の製造・循環コスト」の面です。
わが国では税金から、確か毎年2兆円ほどがここに割かれています。
多過ぎですよね。
電子化すると、初期費用は高額になるでしょうが、
これが保守・点検を省けば、毎年ほぼ0です。
明らかに無駄が無いので、いずれ変わっていくことでしょう。
というかむしろ、変わらない方が変です。
紙幣になる原材料である「木」や、硬貨になる「金属」、
ATMの設置・点検・補充、 紙幣・硬貨の輸送、
そしてなにより、2兆円の無駄遣いが消えるんですから。
変わっていく金融
お金の形もそうですが、
通信技術の向上に伴って、「金融の在り方」にも変化が。
というのも、「ウェブ」という情報網が無い時代では、
「お金を借りる」となると、
「一定の場所・組織」を頼るしかなかったわけです。
なにせ誰が貸してくれるかなんて、調べようがありません。
それこそ、「身近なところ」くらいしか情報は無いわけです。
そう、いわゆる「金貨し屋・質屋・銀行」に行きさえすれば、
お金を貸してもらえることは分かります。
しかし、「それをしてくれる人を調べる手段」は無かったんです。
「近場の有名な組織・団体」は分かっても、
「個人」を調べる術はありませんでした。
しかし「ウェブという通信網」が世界を覆う時代になって、
誰もが、『出資者を調べる』ことも、
『出資者に見つけてもらう』こともできるようになったんです。
そう、これまで「銀行」が担っていた役割は、
全て『個人』で行えるようになってしまいました。
こうなると必然、銀行の利益の源(貸す相手)が奪われるわけで、
「国」が運営する『お金の価値を保証する』「中央銀行」以外は、
どんどん経営が先細りしていきます。
なぜって、明らかに便利だからです。
なにせ銀行でお金を借りようと思ったら、
「銀行に行く」「審査を受ける」「決まりがある」という感じで、
いろいろと面倒な手続きがあるわけですが、これと比べて、
例えば SNS であったり、そういったウェブサービスなど、
『IT通信網を利用する』場合、↑の手間はありません。
当然、「出資するに値する価値」を提供する必要はありますが、
これは銀行であっても同じ話。
しかし、ここには最大の違いが存在します。
それは『寄付』の存在です。
銀行であれば必ず返す必要がありますが、
ウェブ上で集まった出資者の中には、
「返す必要は無いから頑張れ」という人がいる可能性はあります。
いわゆる「投げ銭」などもそうですし、
利害関係で見ても、いわゆる「恩を売る」出資者もいます。
これは銀行ではどうあっても用意できない利点です。
これを見て分かる通り、
「お金を借りる人」というのは、今後どんどんウェブに広がります。
わざわざ制限の多い銀行で行う人は減っていくわけです。
となると必然、銀行の経営は苦しくなっていきます。
需要が無くなっていくのですから、これは必然の流れです。
どうすることもできません。
とまあこのように、
『金融』の形も変化していきます。
皆さんも、時代に取り残されないように注意してくださいね。
以上、お金についての基本的な話はこれで終わりです。
皆さんも「価値のあるもの」を生み出して、
どんどんお金を稼ぎましょう。
お金の稼ぎ方
最後に、お金の稼ぎ方について。
↑のことを踏まえると、分かることがあります。
それは、『価値のあるものがお金になる』ってこと。
これだけは、しっかり知っておかなければならないことです。
さて、となるとどうやれば、
「価値のあるものを生み出せるのか」という話になりますよね。
それについては、特にいい感じなのは、
「価値あるものを創れる技能を身につける」とか。
これについては、
『技術は身についたまま失われない』ので、
それに価値がある内は、かなりのお金になります。
いわゆる「お金を得るための知識・技術」ですね。
これが一番「価値を生み出す」ことになります。
と言っても、当然ですが、
「誰でもできること」はそこまで価値を生みません。
「価値がある」のは、
「できる人が少ない技術」になります。
具体例を挙げるとするなら、
例えば「プログラミングでサービスを作れる」だったり、
「綺麗な絵を描ける」だったり、「ピアノをうまく弾ける」とか。
わかりやすいのは「コミュニケーションが上手」とか。
他にも「多国語が喋れる」とか「料理が上手」とか。
この辺りになると「半永久的に価値が失われない」ので、
お金にする手段さえあれば、お金になり続けます。
そう、『お金になり続ける』んです。
つまり、その「価値のある技能」さえ持っていれば、
お金に困ることはほぼありません。
特に「習得するのが難しい技術」なんかは、
『ほとんどの人が簡単には真似できない』ので、
必然、希少な価値を生むことになります。
ですから皆さん、お金が欲しければ頑張りましょう。
多くの人は頑張らないので、頑張れば大体報われます。
頑張ってもほとんど世界一にはなれないと思いますが、
まあ、いいじゃないですかそれで。
「世界一だけ」が価値があるわけではありません。
とまあこんな感じ。
要は「極める」と、それはお金になる可能性が高い感じ。
これが恐らく一番確実で堅実で、かつ自信が持てる金稼ぎです。
一応まとめると、
「労働・知識・思考など」→「お金」ですね。
価値が永続するのは「労働・知識・思考など」の方です。
これで分かると思いますが、
ざっと総括するなら、重要なのはお金の方ではなく、
価値があるものの方だよ、って感じでしょうか。
んで最後に、これを保証する環境、
いわゆる大局的な経済についてですが、
頑張ってる人は、どうか安心してください。
経済の根底に「価値あるもの」がある以上、
これが生み出される限り、大局的な経済は破綻しません。
経済の破綻の原因を調べればわかることですが、
大半は「価値あるものの減少」が理由になっています。
要は人、技術、ものが大量に消費されることになる、
例えば戦争とかがこの分かりやすい例でしょうか。
んで、我らが日本の財政に関してですが、
民間が超がんばって「価値あるもの」を生み出しているので、
変な規制やらでそれが減らない限り、破綻することはありません。
というわけでお金についてでしたが、いかがでしたか?
参考になれば幸いに思います。