|| 原因は後に原因だと分かる
結果とその原因の、関係についての話です。
これは「視点」を考えるかどうかって感じの内容になります。
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モデリングの基本
前提「一階述語論理とか、要は数学」
必須情報「抽象情報と具体情報は必ず使う」
使う材料「有限集合とクラス」
『全』の解釈「人に観測されるもの限定」
後者規則「入力されていく感じ」
材料のラベル「クラスの中身の名前」
情報「あらゆるものを情報で構成されてるとする」
ここから本題
大枠「クラス(類)・出発点」
結果「原因の集まりと仮定」
原因「結果を作る一つの要素と仮定」
原因の発生源「結果が分かるから導かれる」
原因の真実性「再現性の高さで仮定される」
最小単位「要素になるもの」
観測結果「観測できた結果しか分からない」
分類「要素または部分集合になるもの」
要因「結果を再現できる可能性が高い原因」
先に言っておきますと、この「結果」と「原因」ですが、
『人にとって』先に来るのは「結果」です。
鶏がいなければ、その卵が鶏のものだと分かりません。
鶏の卵が存在するなら、先にそれが鶏のものだと分かってます。
この記事では、この感覚を説明します。
要は『原因と呼ばれるものは、結果に結びつくとは限らない』って話。
言い換えると、
『それをしたから、欲しい結果が得られるわけじゃない』とかも。
詳しい説明はこれからしていきますが、
感覚的にわかりやすい説明をすると、
『有限』という一言でだいたい説明は終わります。
というのも、人は『限られた情報』しか認識できませんから、
それがある結果の「原因」かどうかを判定するとき、
『再現率の高さ』を利用しなければなりません。
つまり「検証した後」に、初めて原因だと確定されるわけです。
短くまとめるとこんな感じ。
補足すると、これは『帰納的推論』なんです。
だから、順番は「ある結果」→「ある結果の原因」となります。
一応、流れを確認してみましょうか。
まず「原因」は、「ある結果の原因」なわけです。
つまり「ある結果」が分かっていないのなら、
その「原因」自体が、そもそも「原因」かどうか分かりません。
そう、ある「結果が分からない原因」単体では、
その「原因と呼ばれるなんらかの事実」が、
そもそもどの「結果」に繋がるか分からないわけです。
ですから、この時点では「原因」は原因と呼べません。
なぜなら原因は「なんらかの結果の原因」なので。
こんな感じに、「なんらかの結果」が無いなら、
それは原因と、そもそも定義できません。
これは、ただの事実・結果になります。
繰り返しになりますが、厳密に言うなら、
『再現したい結果・目的』が決まらなければ、
そもそも「ある事実」が「原因」として定義できないんです。
例えば、なんか爆発したら宇宙ができたわけですが、
他にも銀河とか星とか生物とかもできた、と言えます。
しかし「最初の爆発だけ」があっても、それは単なる事実です。
次に来る「結果」が無ければ、爆発は原因にはなり得ません。
その時点では、「爆発」は1つの結果・事実です。
とまあこのように、「原因」は単体では原因と呼べません。
単体の場合、それはただの1つの事実・結果なんです。
このような感じで、原因は結果ありきなんですね。
結果から、ある「1つの事実」が原因と『仮定』され、
その検証を行い、『再現率』を得て、
その後に、人は「ある結果の原因」を得ています。
そう、人は「原因」と言いつつ、
『再現率がほぼ100%の事実だけ』を「原因」と呼んでいます。
こういう感じに、割と意味が曖昧なんです。
ともあれ、大枠は↑のような感じ。
「ある結果」があって、初めて「原因」が発見されます。
逆は起きません。
起きているように見えるものでも、
きちんと最初に「結果」が来ています。
「原因」から始まるように見えるアプローチを考えても、
先に「ある結果を実現したい」ときて、
次に「そのための手段・材料」を得ているのが確認できるでしょう。
例えば、「喉が渇いた」から「お茶を飲む」というのも、
別に「お茶を飲む」という「結果」である必要は無いわけです。
なぜなら「ジュースを飲む」とかでも良いわけですし。
この場合でも、基本は「喉が渇いた」という「結果」から来て、
その次に「お茶を飲む」という「結果の選択」が来てます。
この「2つの結果」が揃って、
初めて「喉が渇いた」は原因となるわけです。
要は、こんな感じ。
「原因」は「結果」ありきなんですね。
といってもまあ、
これだけじゃまだ納得できないと思いますので、
これから詳しく解説していきます。
ともあれ、先に結論から言っておきましょうか。
アプローチは「原理」と「拡張」の2通りです。
具体的には、
「結果→原因」と「(結果→結果)→(原因→結果)」
この2通りを考える必要があります。
順番を辿ると、「結果→原因」の場合は、「ある結果」から、
その「原因」となるものは数学的に『仮定』され、
科学的アプローチによって『再現性』を保証されます。
「(結果→結果)→(原因→結果)」の場合だと、
ある「結果」から「結果」が導かれ、
この「2つの結果」から「原因→結果」と導かれます。
これが、「結果」と「原因」の『最小限』の関係です。
3つ以上はこの組み合わせになります。
んで、見ての通り、「原因」を得る操作は、
あくまで『仮定』→『検証』→『原因を得る』か、
もしくは『2つの結果』→『ある結果の原因を得る』のどちらか。
そしてこのどちらを見ても、
『原因は、ある結果の原因である』わけですし、
先に原因が来るってことはないわけですね。
枠
|| 結果と原因を構成する基本的な情報
これは「観測結果」という情報「2つ」で決めます。
この時点ではまだ、「原因」の存在は確定じゃないです。
基本的な話をしますと、
『原因は、ある結果の原因である』わけです。
同時に、『結果は、原因不明でも存在する』んです。
つまり『結果の存在』という事実に対して、
「原因の特定は不要」という、1つの事実は確定しています。
具体的には、例えば「生きている」という結果があって、
その次に「生まれたから」という原因が『発見できる』感じ。
この時、「生まれたから」という事実を認識していなくても、
「生きている」という『事実の存在』は確認できます。
そう、まず「結果」が決まってから、
その『原因は必ず存在する』(仮定)とする上で、
初めてその「原因」が考えられることになるわけです。
はい、この時点で明らかなことですが、
『概念単体で成立する』のは「結果」の方だけなんです。
「原因」は、『行き着く結果』がなければ、
そもそも原因と呼ぶのはおかしい、となります。
なりますというか、自然に考えるとそうですよね?
要は「結果から」原因を考えるのは意味がある。
でも、「原因から」結果を考えるのは意味ないよね、って感じ。
これの感覚的な事実を挙げると、
例えば「目標という結果は手段という結果を発見できる」けど、
「努力という原因が結果に結びつくとは限らない」という感じ。
話の核は、主にこんな感じです。
まとめると、
『結果は、原因が不明でも存在している』が、
『原因は、結果が不明なら原因と呼ぶのは変』という感じ。
確認すると、単なる事実として、
「原因とされるもの単体」は、
『どの結果に繋がるか分からない』わけです。
例えば、仮に「自分は今生きている」を原因とすると、
さて、これはなんの結果に繋がるんでしょうか?
先に答えを言いますと、
『不確定な結果(未来の結果)』に繋がりませんか?
言い換えると、「どの結果に繋がるか分からん」わけです。
例えば多くの人を救う立場の人間になるか、
それとも人に害をなす人間になるか、
はたまた有象無象のその辺の人になるか。
どの結果もあり得るようで、
『至らない結果』も、必然的に存在し得ます。
そう、『原因となる可能性はある』わけですけど、
その時点では、まだ原因と呼ぶのは変なんです。
なぜ変なのか、という感じでしょうから説明すると、
これでは「原因として確定していない」から、
というのが主な理由になります。
比較すると、
「結果」は、『すでに確定している情報』を、
単にそのまま「結果」として認識することができます。
そしてその後に、
『すでに確定している情報(過去の情報)』を、
「原因として推定できる」わけです。
まとめると、
『原因は、原因として確定するか不明確』ですが、
『結果は、結果として確定する』んですね。
同時に、「原因」と「結果」は、
そもそも『1対1の対応をとってない』んです。
『後付け』で「対応させている」というのが、
↑の感じを見れば納得いただけるかと。
というわけで、ちょっと整理してみていきましょうか。
結果 Result
|| 既に確定している情報
要は「既に分かってること」がこれですね。
原因とセットのようで、単独でも存在が確定します。
これを考える上で押さえておきたい事実は2つ。
1つは、「1つの結果」には『複数の再現方法が存在する』こと。
もう1つは、『原因が不明でも、結果は観測される』ということ。
この2つは、事実として認めることができると思います。
特に疑問の余地はないでしょう。
てなわけで、これを「原理」として話を進めていくことにします。
続いて「人・機械などの観測者」に限った話ですが、
『原因の全てを特定することができない』という、
いわゆる『有限』の縛りも押さえておきたいです。
『人にとっては』という部分の由来は、
この1つの原理によるものなので。
これもまあ、特に疑問はないでしょう。
単に「目的を達成するための手段はいくらでもある」っていう話と、
その「手段の全ては分かんない」よね、って話ですし。
というわけで良い感じに「結果」を定義するなら、
『人が観測したことがあるもの』とするのが妥当なところでしょう。
んで、この結果の『原因の全てを知る必要は無い』わけです。
極端な話、『原因を知らなくても、結果は観測できる』ので。
原因 Cause
|| 確定しているわけではない情報
「結果の元になったもの」がこれですね。
セットの結果が無いと、ただの事実になります。
結果と違い、これは単体で成立しません。
なぜなら『原因の集まりは、結果を再現する』わけですが、
それを確認するまで、それが原因と言い切れないので。
なにより、「1つの結果だけ」を『原因』とは定義できません。
なぜなら、これだけでは「何の原因なのか分からない」ので。
結果の『再現方法が複数存在する』について考えても、
「2つ以上の結果」も、しようと思えば『原因』と定義できるわけで、
何より原因側から見ても、結果と「1対1の対応」をとっていません。
つまり「原因と呼ばれるもの」は、そもそも、
『結果と1対1になっているわけではない』んです。
そう、『原因となるもの』は通常、
「複数の結果に行き着く」わけで、
となると、必ず1つの結果だけを導くわけではありません。
まとめると、『原因と呼ばれるもの』は、
そもそも「1つの結果にのみ対応するわけではない」んです。
「原因と呼ばれるもの」は、あくまでそういった類のものになります。
言い換えると、『別の結果を得ることもあり得る』わけで、
となると、そもそも「原因」という言葉の意味が曖昧になります。
そう、このままでは曖昧なので、どうにか曖昧さを除きたいんです。
ですから、このように定義して曖昧さを回避しているというわけ。
念のため、この「曖昧さ」を深堀しておきましょうか。
まず、ある「原因と呼ばれる観測結果」があるとすると、
それは『他の結果の原因になり得る』わけです。
こうなると、この「原因と呼ばれるもの」は、
「考え得る限りの結果の、原因と呼べる」ことになります。
ですが、これは変です。
なぜならこのままでは、「背反する結果」も許容してしまいます。
これはどういうことかというと、
『再現できない可能性』について考えると直感的に分かります。
というのも、この「原因と呼ばれる観測結果」が、
『ある結果を導く可能性がある』ように、
『ある結果を導かない可能性もある』わけです。
こうなると、この『原因と呼ばれるもの』は、
「ある結果の原因となる」場合もあれば、
「ある結果の原因とならない」場合もあるわけです。
こう考えると、明らかにおかしいですよね?
「原因だ」という仮定から、
『原因である』と『原因ではない』が導かれてます。
こんな感じに、このままでは『原因側から』、
明らかに「結果を導く」ことができていません。
そう、『結果からは原因を推定することができる』のに対し、
『原因から結果を導くことはできない』んです。
理由を簡単にまとめると、
「原因と呼ばれるもの」は、
『必ずしも、ある1つの結果に繋がるわけではない』ですから。
これで分かったと思いますが、
「努力が必ず報われるわけではない」というのが、
「単なる事実である理由」はこれです。
というのも、「頑張った」からといって、
『その頑張り』が「必ず欲しい結果を導く」わけではないんです。
見当違いな頑張りとなれば、当然、結果は出ません。
例えば勉強をするでも、やり方が変われば結果は異なります。
また運が悪ければ、失敗することもあるでしょう。
例えばいつもできてることでも、ミスはあり得ます。
あるいは単に頑張りが不足していることだってあり得るわけです。
例えば時間・手間が必要なものは、すぐに結果は出ません。
このように、人は「原因から」では、結果を導けません。
導けるのは、あくまで「結果から」になります。
この点で、常に「結果」が先に来ているわけですね。
原因という概念の発生
そもそものお話として、
なぜ、『原因』とかいう概念は生まれたんでしょう?
これを考えていくと、順番が明確になる気がしませんか?
これを確認するために、まず前提を確認します。
1つ、言語というのは概念の表現方法なわけですから、
「結果」「原因」という概念は存在していた、とします。
この概念を言語化した結果が、「結果」と「原因」です。
では、先に生まれたのはどちらなのか考えてみましょうか。
当たり前の話として、人は結果ばかりを認識します。
目の前にある事実は、全てが観測された結果です。
そしてその結果は、その人にのみ観測できる限られた結果で、
人はその結果だけを観測することができます。
そう、「全て」を観測できるわけではありません。
この事実を元に考えていくと分かりますが、
人は「観測した結果」を、「結果」「原因」と呼んでいます。
つまり「観測した結果」が、
「なんらかの特徴を持つ」場合、
「結果」もしくは「原因」と呼び分けているわけです。
んで、見た目で分かる通り、
「結果」の意味については、すぐさま理解できます。
「観測された結果」の時点で、既に「結果」なわけですから。
置き換えるなら、この「観測できた結果」を、
「現象・事実・存在するもの」など、
このように言い換えてしまっても良いでしょう。
ともあれ、意味そのものにそこまでの差異はありません。
厳密さを求めるなら、「観測されたもの」とでもしておけば、
そこまで目立った問題は出てこないでしょう。
ともかく、このように「結果」はすぐさま直観的に導かれます。
感覚的には、単に「分かりやすい目の前の事実」を、
結果と呼べばいいだけですので。
問題は「原因」です。
この時点では、まだこれについてよく分かりません。
ただ、直観的には「手段」をベースに見ていくと、
なんだかわかる感じがします。
というのも、ある「一定の手続き」から、
「欲しい成果が得られる」ことは明らかです。
例えば現代なら、知らない単語が出てきたとき、
とりあえずスマートフォンでグーグル検索を行いますよね?
こうすれば、知らなかった知識を得ることができます。
他にも喉が渇いた場合なら、水分を探します。
冷蔵庫から取り出すなり、田舎なら水道水を飲むなり。
ともかく「欲しい成果を得る」ために、
「一定の手続き」が行われるのは間違いありません。
こう見ると、なんだか「一定の手続き」が、
「欲しい成果を得る」ことを実現したように見えます。
はい、この感覚が「原因」の直観的な感覚になります。
この時の「一定の手続き」が、原因と呼ばれるものです。
とはいっても、これだけじゃ不十分です。
なぜならこのままでは「原因ではないかもしれないもの」も、
↑のように、「原因と呼べてしまう」ことになるので。
というわけで、この話について見ていきましょうか。
原因の真実性
結論から行くと、これは「再現性」を使って判定します。
逆に言えば、再現性が無ければそれは原因と呼べません。
確認すると、単なる事実として、
『結果を、ほぼ100%再現することは可能である』わけですから、
そのような「手続き」は、結果を導くものと言えるでしょう。
こうなると、『結果をほぼ100%再現する事実』は、
「原因」と呼んで差支えはありません。
というわけでこの操作について見ていくと、
まず最初に「結果・現象・欲しいもの」があって、
次に「帰納的推論」によって「原因」となる『仮説』を得ています。
例外は、少なくとも思いつく限りでは存在しないでしょう。
「原因」の存在は、間違いなく↑の操作を経て、
その後に確定しています。
これはどのパターンでもそうです。
「確定情報(結果)と不確定情報(原因)」の場合でも、
「確定情報(結果)と確定情報(原因)」の場合でも。
どちらであっても、必ず「結果」が定義されて、
その『後』に、「その結果の原因」として、
ある事実を「原因」として定義しています。
そう、「原因の発生」は、
「結果の発生」の『後』になるわけです。
具体例を見ていきましょうか。
確定→不確定のパターンは↑で紹介した感じで、
例えば「良い点数をとるために勉強を頑張る」とか。
確定→確定のパターンだと、
「喉が渇いたから水を飲んだ」とか。
こう見るとわかりやすいですが、
「前後の判定を曖昧にしている」のは、
「確定情報→確定情報」のパターンですね。
『時間的に考える』と、
なんだか「原因」が先に来ているように見えます。
そして、これはどう見ても明らかな事実です。
しかし待ってください。
そもそもの話として、「欲しい結果」が無ければ、
時間的には前の、原因となる「手段を実行していない」んです。
そう、こう見ても、やはり順番は「結果」→「原因」で、
時間的に見た場合であろうと前後していません。
単に「実行の段階」で変わってるだけです。
まとめると↓のようになっています。
「目的(結果)→手段(原因)」→「手段の実行→成果」
とはいえこう考えていくと、
まだこの時点では大事な話が抜けているように思います。
それが何かと言うと、
「『偶然』に実行したこと」が、
ある「結果」を生んだというパターンの話。
つまり「時間的に先に来ている」上に、
「目的という結果が無いままスタート」した状態の話。
端的に言いますと、これは「原因と定義できない」から来て、
「後になって原因と言える」というパターンになります。
順番を纏めると、
「ある結果(確定)」→「原因と思える事実(推定)」
→「再現性を検証」→「原因と確定」という流れです。
このパターンもまた、ちょっとややこしいですね。
といっても、この場合でもやはり「結果」が先です。
原因が先に来ることはありません。
とまあこのように、
『原因は、結果が無ければ定義できない』わけです。
どうでしょう?
ある程度はこれで納得できましたか?
納得できない場合は、
他にも色々なパターンを考えてみると良いと思います。
まとめると、
基本的には↑で紹介した2パターンのみで、
他のパターンは『無限を観測できる視点』でなら考えられる感じ。
他のパターンついては、人の視点では無理です。
というのも、「確実に(100%)原因であると断定できる」なら、
あらゆる現象は、「全て原因からスタートする」ことになります。
しかし、これは人の視点では確認のしようがありません。
人に許されているのは、あくまで『有限の範囲』で、
その範囲では、「確実に」確認することは不可能なんです。
ただし、「100%は無理」であっても、
「ほぼ100%は可能」なんですよね。
だから、人は「原因」から「結果」を、
『導ける可能性が高い』わけです。
最小単位
|| 一番根っこにある、結果を表す情報
これは、要は「個人が実際に体験した事実」ですから、
そのまま『観測結果』と呼ぶことにします。
要は単なる「感じられる現象・事実」のことで、
人なら、「脳で認識できた情報」のことになります。
とりあえず、細々と事実を確認していきましょうか。
まず「人の意識」は、『有限の情報で判断する』ので、
『認識された1つの事実』が出力されるとき、
「言葉」という『有限の情報』で「大まか」に出力されます。
そう、『判断材料・出力される情報が有限』である以上、
人の認識は有限に縛られているんです。
人は『結果』を「情報として記録・記憶する」ことができ、
これらを使って物事を判断します。
とはいえ、『思い出せる情報』や『伝えられる情報』は、
「得た情報よりも遥かに少なくなる」わけで、
『仮に入力が無限』でも、『出力は有限』になってしまいます。
他にも、「時間的な制約」もあれば、
「視界の範囲」「聴覚の範囲」など、
人の得られる情報の範囲は、明らかに限定されています。
そう、『人は限られた情報を得ることができる』わけで、
「あらゆる情報を得られる、とは限らない」わけです。
というわけで、この事実に基づいて、
『観測結果』について具体的に定義していきます。
このために、『観測』という言葉の意味を、
「観測者が情報を入力できたこと」と定義しましょうか。
すると『人に扱える観測結果』の意味は、
『観測された、主観的な情報』のことを指すことになるので、
これでそこそこ厳密に扱えるようになります。
これを簡単に言い換えるなら、
「自分が見た・感じたもの」のことを観測結果とする感じ。
これ以外の情報を、人は「観測することはない」わけですから、
人、より厳密には「個人にとっての観測結果」とは、
あくまで「観測できたもの」になるわけですね。
ですから、これを「最小単位」として定義します。
まあ、自然に考えてみれば妥当な話ですよね?
はい、この最小単位である『観測結果』が、
原因または結果になることがある情報です。
以上、最小単位についての話は終わり。
分類
|| 意味のある情報
ここでは『原因の大事な部分』についての話をしていきます。
大雑把に言うと、これは「洗練されていく」感じの話。
具体的には↓の感覚についての話です。
最適化されて「無駄が省かれていく」ということ。
必要なものを埋めて「精度が上がっていく」ということ。
ここでは、主にこれについての説明をしていきます。
使うのは、いわゆる「原因の大事な部分」ですから、
つまりは『要因』を使うわけですね。
要因 Factor
|| 原因の中の、重要な部分
簡単には『必要最低限の条件』みたいな感じ。
この発想は、
『結果には、再現方法が複数存在する』から得ています。
要は「原因は複数考えられる」ってこと。
これから分かることですが、
「結果を再現する最低限の条件」を含んでいる場合、
それは「原因と定義できる」ことになります。
どういうことかというと、
『結果を再現するために必要な要素』を含んでいるなら、
それは『結果を再現する可能性が高い』って話です。
具体的には「飲み水を得る」とかの結果だと、
「淡水湖で水を汲み、消毒する」も「海水を蒸発させる」も、
どちらも「飲み水へ近付ける」という共通部分が見出せます。
はい、これが『要因』の発想です。
簡単にまとめると「最低限の条件」っていう感じ。
つまり形式的には、
「原因」は『そうと思われる観測結果の集まり』で、
「要因」は『再現性がある観測結果の集まり』なんですね。
つまるところ「要因」は、
『原因と言える、観測結果の部分集合』になる、
『原因と呼べるものの共通部分』として定義できます。
「観測結果の集まり」が「原因」ですから、
出力される見た目の上では『ある文の連なり』になる感じ。
例えば「寝る」という結果の原因は、
「寝場所へ行く、かつ横になる、かつ~」みたいな感じ。
要因となる『部分集合』も同様に解釈すればOK。
「部分集合の名前・ラベル」が、ある結果の要因になります。
こうすると「中身を全て見る」必要もなくなるので、
人に扱えるものとして認識することができます。
なぜなら、全てを見なくても、意味のある情報が手に入っているので。
というのも、手順は「1つの結果」から開始して、
そこから「『有限』の個数の原因」を考えるだけです。
「原因を見つける」のは『有限』の回数で十分ですし、
そもそも人には有限の回数しか行えません。
ともかく、これで「見つけてきた『有限』個のもの」から、
その「共通部分を発見」することで、
有限の手順で「要因」を考えられるわけです。
こうすることで『中身を発見できる』余地があって、
かつ『最低限の部分を抜き出す』こともできます。
これを感覚的にまとめると、
「最適化」を『共通部分を抜き出す』で実現できて、
「高精度化」も『共通している中身の発見』で実現できる感じ。
これが、要因の感覚になります。
まとめ
最小単位として『観測結果』を考え、
この名前を「結果」「原因」とします。
その次に「結果」と「原因」の意味を解釈し、
それぞれに適した定義を行って形式化。
結果と原因の定義
結果と原因は相対的に定義しなければならない。
どちらも元は「ある観測結果」であり、
原因は『ある結果の原因』として定義される。
\mathrm{if}
I_{\mathrm{cause}}∈I_{\mathrm{result}}
\mathrm{then}
I_{\mathrm{result}}∈\mathrm{Result}
I_{\mathrm{cause}}∈\mathrm{Cause}
中身の定義
『原因だと考えられるもの』は「無数に考えられる」ので、
「結果 I_{\mathrm{result}} の中身の全て」は『人には』扱えない。
なので、特定の「原因 I_{\mathrm{cause}} 」のみを扱う。
『人が原因だと思っているもの I_{\mathrm{cause}} 』は、
厳密には「観測できた結果・結果を含むもの」のことである。
↑と同じく、その「中身の全て」を確認することはできない。
・観測結果の定義
『観測結果』は「観測できた情報全体の集合」として定義する。
また、これは情報が欠けている状態なので、
「実際の事実の部分集合」として定義される。
この時、結果や原因を示す情報は、
この「観測結果」を基にして、「頭の中で補完される」ことになる。
また「中身は無数に考えられる」ので、
『枠にのみ注目』することで、『全て』を考える必要を無くす。
i∈I_{\mathrm{result}_{\mathrm{observation}}}⊂I_{\mathrm{result}}
i∈I_{\mathrm{result}_{\mathrm{observation}}}⊂I_{\mathrm{cause}}
・要因の定義
「原因」と定義できる『観測できた結果の集まり』の中で、
特に『ある結果の再現性がある、原因の積集合の部分集合』を、
「ある結果の『要因 \mathrm{Factor} 』である」とする。
\mathrm{if}
I_{\mathrm{cause}}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{observable}
∧\,\,\,\,\,I_{\mathrm{cause}}∈\mathrm{Cause}
\mathrm{and}\,\,\,\,\,\displaystyle ∃I_{\mathrm{factor}}\,\left[\,I_{\mathrm{factor}}⊂\bigcap_{ I_{\mathrm{cause}}∈I_{\mathrm{result}}} I_{\mathrm{cause}}\,\right]
\mathrm{then}
I_{\mathrm{factor}}∈\mathrm{factor}
これは「内側の全てを見る必要が無い」ので、
『共通部分が新たに発見される』可能性を残せる。
つまり『共通部分の抜き出し』をすれば「最適化」を実現でき、
かつ『共通部分の発見』を行えば「高精度化」を実現できる。
・再現率の定義
原則として『人は無限を扱えない』。
従って、『再現率』は「確率・統計」的に求めることとする。
これは『実際にデータを得る』ことで求められる。
この「再現率」は『原因が持つ共通の性質』として、
↓で『結果的に』定義できる。
\displaystyle \mathrm{Recall}_{\mathrm{factor}}:=\frac{\mathrm{card}(I_{\mathrm{factor}})}{\displaystyle \mathrm{card}\left(\bigcap_{I_{\mathrm{cause}}∈I_{\mathrm{result}}} I_{\mathrm{cause}}\right)}
これで『実際に調べた再現率』から、
「要因全体の中での、着目した要因が占める割合」を推定できる。
ここで重要なのが『要因の、更に原因を求める必要は無い』点。
内側の「観測されない構成要素」は無視して問題ない。
知りたいのは、
あくまで『観測できる、再現性の高い、有限の原因』なので。
(無限に確認する必要が無い)
原因かどうかの判定
『再現率の高さ』によって「原因」かどうかの判定が成される。
その『再現率』は「ほぼ100%」であり、主観的になる。
0<δ<1
1-δ<\mathrm{Recall}_{\mathrm{factor}}<1
\mathrm{if}
δ≒0
\mathrm{then}
\displaystyle I_{\mathrm{factor}}⊆I_{\mathrm{cause}}∈I_{\mathrm{result}}
結果と原因の対応
基本的な事実として、
『ある結果の原因は、1つとは限らない』上に、
『原因となる観測結果は、ある結果のみを導くとは限らない』。
以上のことから、そもそもの話として、
『原因は、ある結果の原因』と定義しないと、
『どの結果の原因なのか分からない』となる。
つまり『結果が不明確である』なら、
『どの結果を得るか不明確』となり、
そもそも、その「観測結果」は『原因と呼べない』。
つまり基礎的な話として、
順番は、必ず『結果』から決まり、
その次に『その結果の原因』として原因が導かれる。
言い換えるなら、↓のようになる。
『1つの観測結果は、原因になることはない』
『1つの観測結果は、結果にしかなり得ない』
原因だけ定義
\mathrm{Cause}:=\mathrm{Result}_{\mathrm{observation}}
\mathrm{Cause} \,\,→\,\,\mathrm{unknown}
\mathrm{Result}\,\,\mathrm{of}\,\, \mathrm{Cause} \,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{unknown}
\mathrm{Unknown}\,\,\mathrm{Cause}
※\mathrm{Proof}
\mathrm{Hypothesis}:\,\,\mathrm{Result}_{\mathrm{observation}}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{Cause}
\mathrm{Possible}
\mathrm{Result}_{\mathrm{observation}}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{Cause}\,\,\mathrm{of}\,\,\mathrm{Result}
\mathrm{Possible}
\mathrm{Result}_{\mathrm{observation}}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{not}\,\,\mathrm{Cause}\,\,\mathrm{of}\,\,\mathrm{Result}
\mathrm{Conclusion}
\mathrm{Possible}\,\,\mathrm{Result}_{\mathrm{observation}}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{not}\,\,\mathrm{Cause}
\mathrm{Unknown}\,\,\mathrm{Cause}
\mathrm{Error}
ざっとまとめると、
『原因ではない可能性がある』以上、
確実に原因であると定義することはできない、ということ。
結果だけ定義
\mathrm{Result}:=\mathrm{Result}_{\mathrm{observation}}
\mathrm{unknown}→\mathrm{Result}
\mathrm{Cause}\,\,\mathrm{of}\,\, \mathrm{Result} \,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{unknown}
\mathrm{Even}\,\,\mathrm{if}
\mathrm{Cause}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{unknown,}
\mathrm{Result}\,\,\mathrm{exist}
\mathrm{No}\,\,\mathrm{Problem}
原因に対して、存在している結果は確実に定義できる。
なぜなら、その観測された結果は存在しているから。
順序
ある観測者の『主観』を考える。
観測結果1の情報「 \mathrm{Result}_1 」が観測される。
観測結果2の情報「 \mathrm{Result}_2 」が観測される。
・\mathrm{case}1
目的 \mathrm{Purpose} と手段 \mathrm{Means} の関係にある場合、
以下の流れで『結果から原因が得られる』ことになる。
\mathrm{Means}:=\mathrm{Result}_1
\mathrm{Purpose}:=\mathrm{Result}_2
\mathrm{Purpose}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{result}
\mathrm{Means}∈\mathrm{Purpose}
\mathrm{Means}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{cause}
\mathrm{of}\,\,\mathrm{result}\,\,\mathrm{by}\,\,\mathrm{Purpose}
・\mathrm{case}2
帰納的推論によって得られた『仮説 \mathrm{Hypothesis} 』を検証し、
それが「原因」として認められた場合
まず「ある結果」が得られていて、
その結果には『原因が必ずある』と仮定されている。
この上で、『再現率が高い』とされる「観測結果・事実」がある時、
この「観測結果・事実」を「要因」と定義できる。
\mathrm{Factor}:=\mathrm{Result}_1
\mathrm{Result}_{\mathrm{attention}}:=\mathrm{Result}_2
\mathrm{Result}_{\mathrm{attention}}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{result}
\mathrm{Factor}⊆\mathrm{Hypothesis}
\displaystyle \mathrm{Recall}_{\mathrm{factor}}=\frac{\mathrm{card}(\mathrm{Factor})}{\mathrm{card}(\mathrm{Hypothesis})}≒1
⇒\,\,\,\,\,\mathrm{Hypothesis}∈ \mathrm{Result}_{\mathrm{attention}}
\mathrm{Hypothesis}\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{cause}
\mathrm{of}\,\,\mathrm{result}\,\,\mathrm{by}\,\,\mathrm{Result}_{\mathrm{attention}}
\mathrm{case}1 , \mathrm{case}2 共に、
「原因」が先に来ることはない。
先に「観測結果」が「結果」として定義され、
その後に「別の観測結果」が「原因」として定義される。
結論
結果と原因どっちが先か
この答は、『人にとって』は「結果が先」
なぜなら、
「結果」は『1つの観測結果で定義可能』なのに対して、
「原因」は『1つの観測結果では定義できない』から。