|| 似たような専門用語が多い
縁遠いように思う人がいるかもしれませんが、
必要な知識だと思うんでまとめておきます。
スポンサーリンク
難しいような気がしますが、
基本的な専門用語を覚えるだけの作業になります。
数自体もそこそこで、50個とか覚える必要は無いですし、
なにより覚えてしまえば、そこまで難しくありません。
目次・用語のまとめ
訴訟「第3者(裁判所など)に争いの判断をしてもらうこと」
判決「厳重な手続を経て、裁判官が下す判断のこと」
提訴「原告が、民事裁判を起こすこと」
告訴「被害者が、加害者を処罰するように求めること」
起訴「検察官が、刑事裁判を起こすこと」
裁判を起こす人
原告「民事裁判を起こす人」
検察官「刑事裁判を起こす人」
裁判を起こされる人
被告「民事裁判を起こされた人」
被告人「逮捕されて被疑者になり、起訴された人」
逮捕される人
被疑者「加害者だと疑われている人」
私人「公職についてない一個人(学生・民間企業の社員など)」
公人「公務についている人(公務員・議員など)」
法・法律「これはこう、という決まり・規範」
私法「個人(私人)対個人(私人)の法のこと」
民法「私法の一般法のこと」
総則「なにごとも誠実に、みたいな感じ」
物権「財産(実物)の占有権・所有権について」
債権「資産(お金)についての権利・義務について」
親族「家族関係についてのあれこれ」
相続「遺産についてのあれこれ」
他「商法・労働法・知的財産法など」
公法「国が絡む法のこと」
憲法「統治の根本的な規範・原則をまとめたもの」
刑法「罪と罰について決め、まとめたもの」
総則「国内・国外犯、刑、時効などの定義」
罪「罪の定義と、それに対する罰の決まり」
他「行政法・民事手続法・刑事訴訟法など」
裁判「権威のある第三者が行う、拘束力のある判定」
裁判官「事実を認めて、それを基に法を適用していく人」
証拠「事実として認められる可能性があるもの」
事実認定「証拠から判決の基礎(事実)を認定すること」
証明力の評価「裁判官の自由な心証」
民事裁判「資産とか人間関係とかのいざこざ」
証拠能力「特に制限がない」
証明の程度「裁判官の、高度に蓋然性のある経験則」
刑事裁判「犯罪についてどうこうのあれこれ」
証拠能力「証拠調べ手続を踏まなければならない」
証明の程度「蓋然性+合理的な疑いを差し挟まない程度」
導入
法律について学ぶ上で知っておくべき大事な話があります。
それは『法律の全てを把握している人はいない』ってこと。
まあ、法律に限った話ではありませんが。
ともかく、全ての法律を暗記するのは簡単ではありません。
カメラアイや超記憶障害などの特殊な事例でもない限り、
全てを暗記するのは非現実的です。
んで、実際のところ全て覚えている人は恐らくいません。
リアルタイムで変わり続ける法律の全てを記憶するのは、
権限のある機械でもない限り不可能と言えるでしょう。
そう、ほぼ全ての法律の専門家は、
あくまで法律の知識が多いだけです。
弁護士や検察官については、裁判の経験が多い感じ。(ここ重要)
これで何が言いたいかというと、
「法律の基礎知識」さえ知っていれば、
法律についての話を難しいと思うことはなくなる、ってことです。
要は『専門的な用語を知らない』から「難しく感じる」だけで、
実際のところ、そんなに難しいものではありません。
ともかく、この「法治国家」で生きる我々にとって、
この法律というのは「守るべきルール」なわけです。
ルールを知らなかったから、は通用しません。
ゲームでも、説明を読まないばかりに負けることがあるでしょう。
それと似たような話です。
この法律もまた、構造を理解していないと不利になります。
逆に言えば、構造を理解していれば有利です。
話は変わって、そもそも法律はなんで存在しているかというと、
大まかな理由としては、「争いを回避するため」になります。
例えばですが、法律が無い場合、
欲しいものは殺して奪っても良いんです。
野蛮ですけど、そういえば人類のトレンドですよ、これ。
厳密には、殺して奪っても、復讐されることはありますが、
罪として認められることはありません。
なぜかって、「罪の定義が存在しない」わけですから、
それが倫理的に悪かろうと、する人はするし、
罰されることがなければ、事実上その行為は認められてしまいます。
とまあこのように、法律が無いと争いを避けることができません。
一定数は必ず存在する「奪いたい人」を、抑止できないんです。
はい、つまるところ『争いを回避する』ために、
『罪を定義』して「罰を定める」ことで、
「争うことに利益が無い」ようにするのが法律なんです。
こうすることで「法律」は争いを抑止しているわけですね。
つまりは「安全」のためにこれが必要なわけです。
ただまあ、もちろんこの制度は悪用されます。
そのようなことは歴史的に何度も繰り返されていますし、
現代でも「冤罪」や「不当な法解釈」による被害は少なくないです。
例えば多くの弾圧の根拠になった悪名高い「治安維持法」とか。
これは要約すると、当時の「国の不利益になる行為」を罰するもので、
非常に罰則の厳しい法律でした。
この何が問題だったかというと、
「国の不利益になる行為」という部分です。
現代の感覚では信じられない話ですが、
これには「罰則が厳しい」割に「厳密な決まり」が無く、
『取り調べる側の主観』によって判断されたんです。
はい、つまり「悪者にしたい人」に、
例外なくこの法律を根拠にして厳罰を与えることができたわけです。
具体的には死刑とか。
結果、不当な弾圧が起きて、名高い悪法となりました。
現代の感覚ではありえない話ですが、いや恐ろしいですね。
といってもこれ、実は他人ごとではありません。
現代の我が国にも、似たようなものは残っています。
具体的には、犯罪を犯したか定かではない状態で、
「有罪であると確定していない」にも関わらず、
裁判が終わるまで身柄を拘束する「刑事訴訟法」とかがそうです。
いわゆる「人質司法」と呼ばれるもので、
先進国の中でも、日本くらいにしか見られない法の話。
これもまた『取り締まる側の主観』によって判断される法律で、
「保釈」の条件にある『証拠隠滅・逃亡の恐れ』の部分ですが、
ここが曖昧なんですね。
この法解釈のせいで、実質的にはずっと身体を拘束されます。
名目上は、「不当ではない拘束」として。
「刑事事件」に限定された話ではありますが、
仮に「冤罪」であったとしても、これが起きるんです。
知られない知識故に誤解があるでしょうが、
逮捕の段階では、まだ「有罪が確定していない」立場で、
これは「被疑者」と言われます。
そしてこの後、「起訴」されることによって、
今度は「被告人」と呼ばれる立場に変わるわけです。
被疑者の時点で、世間的には犯罪者のように扱われますが、
この時点ではまだ犯罪者ではありません。
どちらも「疑われている」段階です。
にもかかわらず、この↑の法律では、
実質「強制的に身柄を拘束され続ける」わけです。
『罪が確定していない』にも関わらず。
まとめると、「逮捕される」→「被疑者になる」→「勾留」から、
「起訴」→「冤罪・無実だと主張」→「起訴後勾留」→「保釈の申請」
→「証拠隠滅・逃亡の恐れあり」→「保釈許可出ず」→「拘束」
こうなります。
んで、これは現代の話です。
冤罪だったら実に恐ろしい話ですよ、これ。
はい、そうです。
代表的な事例としては、堀江さんのやつがこれ。
「金融商品取引法違反」や「守る手段のない司法取引」を絡めた、
いわゆる金持ち殺しの超極悪コンボで、↑も一緒に使われました。
結果的に、堀江さんは有罪になりましたが、
無罪説を主張する法学者が多数存在するほどかなりグレーです。
つまりこれは、冤罪の可能性が非常に高い事例でした。
というのも、例えば「殺人」などと異なり、
俗にいう経済犯、つまり「経済関連の犯罪」というのは、
非常に「証拠確認が難しい」んです。
はい、つまり「殺人」などに比べれば、
遥かに「冤罪の可能性は高い」わけで、
その証拠の中には「誤解が含まれている」場合もあります。
これを踏まえ、また当時の堀江さんの状況を考えるに、
自然に考えて「保釈しない条件に該当している」とは思えません。
しかし、結果は異なります。
「証拠が曖昧」で、「証拠隠滅・逃亡の恐れがほぼ無い」状態で、
堀江さんは精神が不安定になるレベルで長期間拘束されました。
結果的に有罪になったとはいえ、
仮に無罪であったとしてもこれは行われていたでしょう。
事実、法解釈では可能となっていますし、
そのような事例は探せばたくさんあります。
冤罪の事例だと、村木さんの話が有名でしょうか。
また、これは不当な取り調べでも使われている話です。
逮捕後、身体の拘束はそう珍しい話ではないでしょう。
はい、単に目立っていないだけで、
これは冤罪被害の原因にもなっています。
なにせ逮捕、取り調べから勾留で長くておよそ20日、
起訴後も「保釈されず、拘置所にずっと拘束される」わけですから、
いわば緩い拷問を受けることになるわけです。
村木さんの例だと、
『冤罪・無罪であった』にも関わらず、
「164日」もの間、『拘置所に拘束』されています。
およそ半年です。普通、気が狂います。
その不自由さから解放されたくて、してないことをしたと、
つい無実の罪を認めてしまっても不思議ではありません。
ちなみにこれ、憲法違反です。
具体的には「18条・34条」とかに違反してます。
34条については「理由」の部分でグレーゾーンを突いてる感じ。
ただし18条については、まだ「犯罪者ではない」んですから、
明らかに違反しています。
これもまたどう考えても悪法ですから、
正常に司法システムを運用するために、さっさと改正すべきです。
というか、立法府がまともなら改正されるはず。
そう遠くない未来に、
これもまた治安維持法のように、過去のものとして、
あれはやばかった、と言えるようになると良いですよね。
とまあ、このように法律は悪用されます。
んで、こういう悪用できる法律は今も存在しています。
そして現在でも、悪用され続けています。
多くの人は冤罪の被害に遭うことはないでしょうし、
被疑者になることもないかもしれません。
でも、可能性がゼロというわけではないですよね?
悪法が通されると、もしくは存在するとどうなるのか。
こういうことをそれなりに知ってみると、
司法・法律・裁判も、なんだか身近に感じられませんか?
なにせ、法律を知らないと、
「いつ逮捕されるか分からない」ですよね。
そしてその時に「どうすれば良いか分からない」わけです。
知らずに罪を犯しちゃうかもしれませんし、
知らずに不当な取り調べを受けることもあり得えますし、
知らずに自分にとって不利なことをしてしまうかもしれません。
そしてそれが「冤罪」であっても、「否認」すると、
「罪を認めない」から「証拠隠滅・逃亡の恐れあり」とされ、
↑のように「不当に長期間拘束される」こともあり得るわけです。
まともな方たちならまともな法解釈をしてくれるでしょうが、
もし検察ガチャが外れたら大変です。
起訴後はずっと留置所の置物にされます。
対処法としては、
身分開示(名前・住所・電話番号など)をして、逮捕から逃れます。
それでも拘束されるなら、黙秘権+弁護士呼びで耐える感じ。
実際、「犯罪を一切犯していない」ということ、
この「無いを証明する」のは困難を極めます。
つまりそこを付かれれば、誰もが↑みたいなる可能性があるんです。
これを回避するには、きちんと知って、
その上できっちり否認、対処しないといけません。
皆さんも、つまらない罪で犯罪者にはなりたくないですよね。
なにより、してないことをしてるってことにされたくはありません。
それになにもしてないのに長期間拘束されるのも嫌です。
例えば、痴漢冤罪とかが良い例でしょうか。
していなくても犯罪者になる可能性がある以上、
これで罪になるよう解釈できる法もまた、悪法と言えます。
とはいえ、これも「知っていれば」回避することはできます。
そう、知っていれば大丈夫なんです。
不安を煽ってしまいましたが、いかがでしょうか。
学んでみるモチベーションが少しは出てきましたか?
もしその気力があるのなら、是非↓も読んでやってください。
裁判を起こす
|| 国家権力に訴えると起きる
この「国家権力に訴える」が曖昧でしょうから、
これについて「民事裁判」と「刑事裁判」に分けて見てみます。
簡単にまとめると、
「民事裁判」は「裁判官に書類を渡す」ことで起きます。
「刑事裁判」は「検察官が起訴する」ことで起きます。
ともかく、ざっと用語について解説していきましょうか。
簡単には↑にまとめてるんで、↑も参考にしてください。
訴訟
|| 権威のある第3者に争いの判断を任せること
感覚的には「仲裁・仲立ちしてもらう」感じです。
その意味を含む言葉が裁判・法律で使われているので、
「国家の司法権によって、強制的に解決するための手続」と、
そういう意味に限定されて使われることが多いです。
法律・裁判について語る時、ほぼ必須の単語ですね。
基礎中の基礎と言って良い用語だと思います。
なんで学校で教えないんでしょうね。
ともかく、「裁判」はこれを「起こす」ことで発生します。
つまり「第三者」とは『国家』を指しているわけですね。
ただ、これは「民事裁判」と「刑事裁判」では割と違うんです。
逮捕とか有罪とか、そういうのは「刑事裁判」の方で、
その権利はこっちのもんだ! みたいなのが「民事裁判」になります。
大雑把に具体的な話をすると、
「民事裁判を起こすこと」は「提訴」と呼ばれ、
「刑事裁判」は「告訴」と「起訴」の2段階があって起きます。
この辺り、ちょっとややこしくてですね、
「民事裁判」は「原告が裁判所に訴える」と起きますが、
「刑事裁判」は『起きるとは限らない』わけです。
というのも「刑事裁判」では、
まず『被害者が加害者に処罰を求める』ところからスタートで、
これを「告訴」と言い、ここから警察やらが動くことになります。
いわゆる「被害届」を出してどうのこうの、
警察を呼んでどうのこうの、というのがこれ。
この後に、『ほぼ有罪が確定している』場合に限り、
「検察官」と呼ばれる人たちが「刑事裁判を起こす」んです。
これを「起訴」と言います。
以下、これらについてのまとめとちょっと詳しい話を。
提訴
|| 民事裁判を起こすこと
「原告」が「民事裁判を起こす」ことをこう言います。
訴えた側が「原告」と呼ばれ、
訴えられた側は「被告」と呼ばれます。
注意点としては、「被告人ではない」という点です。
民事裁判では「被告」と呼ばれますが、
これは刑事裁判での「被告人」とは意味が異なります。
ややこしいんで別の呼び方に変えた方が良いと思うんですが、
慣習か、誰かにとって都合が良いのか、
ややこしいまま放置されています。
皆さんも混同してしまわないように注意しましょう。
確認しておきますが、
「被告」と「被告人」は違います。
すごく似てるけど、違うんです。
告訴
|| 刑事罰を、加害者に対して求めること
「被害者」が「加害者を処罰するように求める」ことがこれ。
要は「警察・検察」が捜査を始めるきっかけで、
この後に「被疑者」を「逮捕」して「取り調べ」を行うわけです。
これは段階があって、この時点ではまだ、
「被疑者」と呼ばれる身分である点に注意しておいてください。
意味はそのまま「疑われている人」になります。
よく「容疑者」なる単語を聞きますが、
これは造語で、意味は定かではありません。
感覚的には「犯人・罪人」のようなものでしょうか?
よく「被疑者」と混同される単語になります。
まるで違うものなので、注意しておきましょう。
ともかく、この「被疑者」ですが、
この時点ではまだ『犯罪者と確定していない』点に注意してください。
「犯罪者と思われる人」を「逮捕」して、
「取り調べを行う」わけですが、
この時点では『犯罪者と確定していない』ですよね?
「犯罪者」の定義は、
『刑事裁判で、有罪判決を受けた人』であって、
「告訴された人・逮捕された人とは限らない」わけです。
つまり「容疑者」なる単語は無闇に誤解を生む単語で、
こういう意味がよく分からん言葉はさっさと排除するに限ります。
皆さんも使わないようにしましょう。
起訴
|| 刑事裁判を起こすこと
「検察官」が「刑事裁判を起こす」ことですね。
「告訴された人」が「起訴された」後は、
「被疑者」から「被告人」に名前が変わります。
「裁判を起こす人」である「検察官」は、
「証拠を集めたり調べたり、証明したりする人」のことです。
はい、この「起訴」の段階になると、
「検察官が証拠を揃えている」状態になります。
言い換えると「ほぼ有罪にできると思われている」段階です。
ただ、「無実になる可能性はある」状態なので、
この時点でもまだ『犯罪者ではない』んです。
そう、『被疑者も被告人も、犯罪者とは限らない』んです。
特に「被疑者」の段階ではまだまだ不透明で、
「被告人」の段階で、だいたいそう、という感じ。
いわゆる「冤罪」の場合も考えられるわけで、
「検察官の能力」「裁判官の力量」「弁護士の手腕」など、
これらの要素がおかしいと、無罪でも有罪になったりします。
まあ、「起訴の段階」に至れば、
「ほぼ確実に有罪」で、そこまでおかしな判決にはなりません。
実際、多くの事例は問題なく犯人を特定できているでしょう。
とはいっても、確実ではないというのは恐ろしい話です。
逮捕されて、冤罪なのに有罪になる可能性があるんですから。
いやあ、怖いですね。くわばらくわばら。
法・法律
|| この時はこうする、っていう決まりの集まり
要は「ある手続きの定義・決まり」のことで、
感覚的には「こうなら、こう」としているものの集まりです。
その中でも「私人 対 私人」の場合の争いは『私法』で、
「国家」が関わる場合(国対個人、国対国)は『公法』で、
となっている感じです。
定義は国によって曖昧ですが、
基本は「法を適用する対象」の範囲が、
「私人だけ」か、それとも「国が絡む」かの区分けになります。
私人と公人
「私人」というのは、
『公人ではない、一個人』と覚えてくのが良い感じです。
これもまた定義が曖昧なので。
具体的には「学生」とか「会社員」とかが私人になります。
定義については、『公人以外』とするのが良い感じなので、
公人ではない身分を探すと、もっと具体例が見つかります。
「公人」については、これは『公務に就いている人』のことで、
具体的には「公務員」や「議員」なんかがそうです。
この中には「影響力の強い人」も含まれたりします。
この「影響力の強い人」というのがまあ厄介で、
『私人と公人の定義を曖昧にしている部分』というのが、
この「影響力のある私人」になるわけですよ。
ここはケースバイケースなので、
あまり深く突っ込まないようにしましょう。
法律の勉強について
六法全書なんかを見たことのある人は分かると思いますが、
「法律の数」というのは凄まじく多いです。
感覚的に理解できると思いますが、
あれを「全部覚える」ってのは無理ですよね。
無理というか、非現実的というか、まあ不可能の類です。
んで、じゃあ実際のところ、
「法律の専門家は、全て覚えているのか」となると、
実は『全ては、覚えていない』が答えになります。
はい、「全て覚えていなくても、専門家にはなれる」んです。
とはいっても、『多くのことを知っている必要はある』わけですが。
ともかく『全部覚える必要は無い』ということを念頭に、
法律を勉強する手順をざっと考えてみます。
すると学べる現実的なラインとして良い感じなのは、
「私法」なら、一般法である「民法」の、基本・判例なんかを。
「公法」なら、国の原則になる「憲法」と、罪罰を定める「刑法」を。
とまあ、このような感じになります。
これは『自分に関わりがあるかどうか』で判定した感じ。
もちろん、他に手を出すのも良い事だとは思いますが、
「基本的なことを学びたい」のなら、
この辺りから手を付けるのが良いでしょう。
私法
|| 私人と私人で争いが起きた場合のあれこれ
簡単には「個人間での争いをどうするか」って感じの、
いわば「権利の争奪戦」に関わるのがこれになります。
一般法は『民法』で、これが基本になりますね。
この特別法として、他にもいろいろある感じです。
例えば「商法」とか「知的財産法」とか、
他にも「労働法」とかがあります。
国を跨いじゃう場合だと「国際私法」とかが適用されますね。
具体的には「国籍」「住所」「財産」なんかが複数で、
どの国の法律を適用すれば良いのか曖昧な時とか。
民法
とりあえず簡単にまとめます。
これは大体1・2・2の、5ブロックで構成されてる感じです。
簡単にまとめると、まず「言葉の定義」があって、
「実物の権利」「お金の権利」ときて、
「親族の権利」「相続について」の5つになります。
総則
簡単にまとめると、『誠実にやろうね』って感じ。
その「誠実に」っていうのをちゃんと決めてます。
物権
いわゆる「所有権」「占有権」とかの話がこれ。
その『財産(実物)は誰のものか』をここで決めてます。
債権
これは「お金」についての話です。
いわゆる「貸した金」とか「借りた金」とかの決まりがこれ。
親族
これは「結婚」とか「親子関係」とかの話。
よく浮気とか暴力がどうのとかで使われるのがこれですね。
相続
いわゆる「誰に譲るか」とかをまとめたのがこれ。
よほど大きな資産家でもない限りは、あまり意識しないかも?
公法
|| 国の権力を制限するあれこれ
これは「刑法」以外はあまり身近なものではないです。
厳密には「憲法」は身近ですが、
これは「現代の常識・普通」になるんで、
あまり実感できるものではありません。
基本は、一番上に来る国家の原則として『憲法』が。
国民にとって身近なのは、罪と罰を定めた『刑法』が。
ただまあ、『刑法』については注意点があって、
これは国によっては「私法」に分類されます。
この辺り、曖昧なんです。
公法には、これ以外にも当然あって、
例えば、国家運営の規律をまとめた「行政法」とか。
これはいわゆる「権力を縛る」ための法律です。
なんでもやっていい、じゃなく、
この範囲でならやっていいよ、とする感じ。
他にも「公法」には、
「裁判の手続き」についての規則をまとめた、
「民事手続法」や「刑事手続法」なんかがあります。
憲法
簡単には、これは『国家の原則』についてまとめたものです。
「この国ではこういうことにするよ」という感じになってます。
我が国である日本では、全11章で分けられていますが、
大きく分けると3つに分類されます。
1つが「その国の原則」「国民の権利・義務」などの『原則』で、
1つが「国会」「司法」「内閣」「財政」などの、『権力』について。
最後に『憲法』自身についてが来ます。
矛盾が発生する欠落憲法ではありますが、
我が国はそれでもどうにかなってます。不思議。
具体的には「自衛隊の存在」とかが分かり易いですかね。
以上、一つ一つちょっとだけ詳しく見ていきましょうか。
詳しくは「日本国憲法の条文」をどうぞ。
国家の原則
第1章~第3章までがここになります。
日本という国の基礎についてがこれです。
第1章は「天皇」についてですね。(第1条~第8条)
日本固有の世界最強の権威ですから、欠かせません。
国の歴史は金でどうこうできませんので。
第2章は「戦争放棄」についてです。(第9条)
要は無抵抗で殺されろってやつで、憲法となるとこれが有名ですね。
攻め込まれたパターンが考慮されていない欠落条文になります。
第3章は「国民の権利・義務」について。(第10条~第40条)
権利については「基本的人権」とか「表現の自由」とかが。
義務については「高潔に」とか「努力して維持しよう」とかが。
見ておいた方が良いのは主に「第3章」についてです。
法律の解釈とかが、意外と憲法違反してたりします。
権利を主張するときなんかでは、これを知ってると良い感じです。
権力について
第4章~第8章までがここですね。
あんまり日常生活には関係ないので、必要になった時に見る感じで。
ざっとまとめると、第4章~第6章までは、
いわゆる『三権分立』についてで、
「内閣」「国会」「司法」について書かれてます。
第7章は「財政」についてで、
要は「国のお金」についての決まりはこれ。
第8章については「地方自治」となり、
要は「国の傘下にある、一部の権力」の決まりがこれ。
憲法について
第9章~第11章までがこれ。
大まかには「改正(第9章)」についてと、
憲法が一番上だっていう「最高法規(第10章)」としての決まり。
最後に、足りない箇所を補う「補則(第11章)」が来ます。
刑法
これは、簡単には『罪と罰の定義』をまとめたものです。
なにが罪とされ、その罪に見合う罰はなにか、とか。
要はそれを決めたのがこれになります。
大きく分けて2ブロックあって、
民法よりは全体像が細々していませんが、
1つのブロックがけっこう細分化されています。
総則
ここでは主に「定義」の話がされています。
「国内犯」とか「国外犯」とか、
「減刑」「時効」がどうとか、そういうのがここです。
「刑」についての定義もそうですし、
「罰の程度の決め方」とかもこれですね。
他にも「未遂」の場合はどうだとか、
「再犯」の場合ならどうとか、そういう感じ。
罪
ここでは『罪の定義』と『罪に見合う罰』について決めてます。
分類を大きく分けるなら「国」と「個人」で分けられる感じ。
その内容については、
簡単には、「人を傷つけることはダメ」って言ってます。
「暴力」とか「性質の悪い嘘」とか「迷惑行為」とか。
国については「内乱」とか「諜報・スパイ活動」とか、
「他国への不正」とか「公務の妨害」とかがそうですね。
個人レベルだとかなり細分化されて、
有名なのだと「暴力」いわゆる「傷害・殺傷」とか。
他にも『迷惑行為』として「騒乱」などもそうです。
「逃走」「秘匿」「証拠隠滅」なんかもそうで、
とにかくいろいろあります。
多過ぎるんで、必要になった時に調べるくらいで丁度良いかと。
裁判
|| 第3者が、法律を元に争いの決着点を決めること
いわゆる「判断を裁判所にしてもらう」ことですね。
これをされると、法治国家では判決に納得しなくちゃいけません。
大まかな流れを確認しておきます。
まず、これは「裁判を起こす」ことで起きるんです。
基本は2パターンで、「提訴」または「起訴」されて起きます。
(行政訴訟・憲法訴訟はとりあえず無視)
そこから、『証拠』を提出して、
その『証拠』と、その『証拠の証明』を元にして、
『裁判官が、事実かどうか判断していく』ことになります。
そして最後に『判決』が下されて、
その判決に沿って形式的な手続きが踏まれるわけです。
これがすごく大雑把な裁判の流れになります。
だいたい、多くの人が想像している通りです。
簡単にまとめると、『裁判官の視点』では、
「証拠とその証明を受け取る」→「反論を求める」
→「裁判官の判断で事実が決定」→「事実に法を適用していく」
「原告」もしくは「検察官」の視点だと、
「証拠・証拠の証明を裁判所に提出する」→「判断を待つ」
→「反論を受け取る」→「反論を提出」→「判断を待つ」
細かな流れは「民事裁判」と「刑事裁判」で異なりますが、
大雑把にはこんな感じです。
判決
|| 裁判で最終的に行われる決定
簡単には「勝敗を決めること」がこれです。
刑事裁判なら「有罪か無罪か決めること」ですね。
決める人が「裁判官」で、
決めるための判断材料が「証拠」になります。
そして重要になるのが『証拠の証明』ですね。
出された証拠は「正しいかどうかは不明」なわけですから、
当然、その「証拠の説得力を上げるもの」は必要になるわけです。
「完全に証明する」というのは「不可能」ですから、
最終的には「疑問の余地がない」という、
いわゆる『ほぼ確実・明確』か『ほぼそう・妥当』か。
要は「ある程度の客観性がある」ことを前提に、
最後は『裁判官の主観』によって判断されることになります。
これは「自由心証主義」と呼ばれる思想で、
考え方としては「性善説」的な感じになります。
また、「能力が高いことが前提」ともなっています。
ですから裁判官がまともでないと、かなりやばいです。
無能かつ恣意的だと、あまりに「主観」が強くなりすぎるので。
というわけで、やばい裁判官は見つけ次第晒していきましょう。
ほぼ全ての裁判官はまともで有能な方たちですが、
中にはやはりやばい人がいるので。
事実認定
これは法律関連の用語としては、そのまま、
『事実として認めること』という意味になります。
要は「証拠として提出された事実」があって、
それを「正しい事実だと判断すること」です。
これを判断する人は、
「裁判官」か「事実認定者」などと呼ばれる人になります。
「事実認定者」の辺りはちょっと込み入っていて、
「陪審制」の場合についての話をすると、
これは「民間人から無作為に選ばれた人」になります。
証拠
「事実認定」で参考にされる『証拠』ですが、
これは「本当かどうかは分からない」というのが前提に来ます。
そう、それが「本当にあった事実かどうか」は分かりませんから、
きちんと確認されなければ、「嘘が通る」わけです。
つまるところ、『証拠の正しさ』という部分について、
きちんと定める必要があるわけですね。
そこで出てくる用語は主に2つあって、
一つは「証拠能力」という、いわば『証拠としての強さ』と、
一つは、それを裏付ける「証拠の証明力」になります。
証拠能力
これは、いわば「証拠の信憑性・信頼性」の話です。
例えば「伝聞」とか「証人」とか「物」とかがありますが、
これらの『証拠としての信頼性』は異なります。
例えば「特に根拠のない伝聞」なんかだと、
自然に考えると『曖昧な部分が多過ぎる』わけですから、
こうなると『信用度はすごく低い』となりますよね。
そしてこのような『信用しにくい』ものは、
場合によっては「証拠能力が低い」とされ、採用されません。
要は、こんな感じの話です。
この制限はパターンによって異なります。
「民事裁判」については『特に制限はない』ですが、
「刑事裁判」については『証拠調べの手続きが必要』となる感じ。
「刑事裁判」では厳しい罰則があるわけですから、
『確度の高い証拠のみ』が事実認定の基礎になります。
そのため、「伝聞証拠」はダメです。(刑事訴訟法 320条)
証明力・証拠力
「証拠能力」は証拠の『信頼性』の話で、
こっちは、証拠の『確認・説得力』の話になります。
当然ですが「映像・音声」なんかの『物証』は強いです。
また「印鑑が押されている契約書」なんかもそうで、
こういうものが見つかれば、ほぼ確実に事実認定されます。
ただ、例えば「証人の発言」なんかだと事情が変わります。
書面の上だけでは、嘘かどうか、信用できるかどうか分かりません。
このために、一度「直接、証人に聞く」という手順を経て、
そこで裁判官が事実かどうかを見極めるわけです。
このように『一定の手続きを経る』こと、
例えば「直接的に確認を行う」ことで、
証拠の『説得力』を上げる感じ。
いわゆる「証人尋問」という『手続き』の話。
↑の『証拠調べの手続き』とは、こういうのを指します。
法的には、「証人尋問」の決まりは刑事訴訟法 304条
「鑑定人尋問」やら「被告人質問」なんかもこれです。
裁判のイメージとして強いのは「被告人質問」ですね。
このように、『証拠能力がある』上に、
かつ『法定の証拠調べ手続を経た』場合は、
その証拠は「厳格な証明」をされたものとして扱われます。
こんな感じですが、まあ自然な話として、
「確実に事実であるかどうか」というのは最後まで曖昧です。
「ほぼ確実・ほぼ100%」はあり得て、
この部分については覆す理由はありません。
ただ、「まず間違いない」という程度であれば、
もしかすると事実ではないかもしれないわけです。
このような、証拠が出揃った上でも「不確かな部分」については、
「裁判官の自由な心証」に委ねられることになります。
これが↑にあった「自由心証主義」です。
『自由心証主義』を定義する「法律」は↓です。
「民事裁判」なら、民事訴訟法 247条
「刑事裁判」なら、刑事訴訟法 318条
民事裁判
|| 権利の奪い合い
簡単には「物・金なんかでの争い」でやるやつです。
「賠償」とか「慰謝料」とかはこっちですね。
『刑事罰とは別』になります。
よく混同されがちですが、
「訴えられる」は、「逮捕される」とは違うわけですね。
そんな「民事裁判」は、
「訴える側」である『原告』が、
『裁判所を第三者として、訴訟を起こす』ことで起きます。
そしてこの「民事裁判を起こす」ことを、
よく『提訴』と呼ぶ感じです。
起訴や告訴と混同しないよう注意。
ただまあ、これだけだと曖昧な部分があります。
それは『裁判所に何をすれば訴えたことになるのか』という点です。
これについてですが、
『訴状』という「文書」を提出すれば起きます。
厳密には、しないと起きません。(民事訴訟法133条1項)
訴状
|| 訴えについて書かれた文書のこと
要は「私は誰で、あの人にこうして欲しい」っていう、
いわば『こうして』ってのを書いたやつです。
当たり前ですけど『書かなきゃいけないこと』があります。
それについて、ざっくりと見ていきましょうか。
厳密なルールは「 民事訴訟法133条2項 」に書かれています。
ざっと言うと、『名前』と『現住所』は当然必要です。
次に『具体的に何をどうして欲しいのか』、要は「訴え」が来ます。
最後に『なんで訴えたのか』の説明をする感じ。
ざっとまとめるとこのようになります。
つまるところ、自然に、必要なことを書くだけです。
原則、民事裁判はこの「訴状を提出」して起きますが、
例外もあって、「簡易裁判所」では「口頭」でもOKです。
(民事訴訟法 271条 273条)
書証
|| 民事裁判での証拠調べの手続き
これは大まかに2つの意味があります。
1つはそのまま『文書(もの)』自体のことで、
1つはその『文書の内容を見る(行為)』ことです。
要は『裁判官が「書類を見て」いろいろと確認する』ことですね。
ちょっとややこしいですが、この『書類そのもの』も書証と言います。
文書
これは要は「書類」のことですね。
これのオリジナルを『原本』と言います。
「原本は1つしかない」わけですが、
1つだけというのはいろいろと効率が悪いです。
なので、この「原本の写し・コピー」があった方がいいですよね?
んで、この「正式な原本の丸写し」を『謄本』と言います。
丸写しなんで、内容が全部一致していなくちゃいけません。
そしてこの「正式なもの」というのは、
厳密には、『公証権限を持つ公務員』が、
「原本と全く同じ」という『認証文言を入れたもの』になります。
つまりただの写しではなく、
『公務員が、「全く同じだよ」と認めたコピー』なわけです。
この「謄本」の中で「裁判官に訴状として出される」のは、
今度は『正本』と呼ばれるものになります。
謄本なんで、内容は原本も正本も一緒です。
ややこしいですね。
一応、ちゃんと覚えておきましょう。
民事裁判を起こす『訴状』になるものなので。
準文書
これは『文書ではない』けれど、
『書証の手続きで、文書のように扱って良いもの』のことです。
(民事訴訟法 231条)
要は「紙媒体じゃない情報媒体」のことで、
具体的には、分かりやすいところだと「図面」や「写真」とか。
他にも「音声」「映像」が入った「レコーダー・USB・SD」とか。
イメージしやすい証拠というと、
もしかするとこっちの方がそうかも?
文書の証拠力
当たり前ですが、「確かな事実」が分からない限り、
「事実に法律を適用していく」ことも、
「正しい判断をする」こともできません。
ですので『事実として認めるための根拠』が必要なわけです。
この「根拠」の『信頼性・説得力の高さ』を、
法律の世界では「証拠能力」とかいう言い回しをします。
ともあれ、この「証拠能力」というのはそのままだと曖昧です。
何を根拠に「証拠能力がある」とすればいいのか、
このままでは大部分を「主観」に頼ってしまいます。
そう、このままでは不公平になる可能性が高いんです。
そこで「証拠能力が高いとする、根拠」の集まり、
いわば「証拠能力についての決まり」が作られました。
簡単には「信憑性がある」「信頼できる」という感覚を、
どうにかこうにか「定義してまとめてみた」感じ。
その例の一つとして、書証で扱われる「文書」の原則として、
「その成立が、真正であることが証明されなければならない」
というのがあります。(民事訴訟法 228条1項)
要は「信用できる人が言うなら、そうなんでしょ」っていう、
こういう感覚を法にしたのが↑ですね。
この場合の信用できる人とは、公務員のことです。
形式的証拠力
これは↑で出た「文書の正しさ」についての話です。
『信頼性を保証する』ための考え方になります。
より厳密には『文書が正式なものである』なら、
それを「証拠能力がある」ってことにする、という話です。
この「正式な文書」というのを、
法律の用語では主に「公文書」と言ったりします。
「公文書ではない文書」は「私文書」と呼ばれ、
「署名・押印の有無などの保証」がない限り、
形式的には証拠力があるとはされません。
公文書
『公務員が、権限の基に作成した文書』のこと。
感覚的には「偽造されてる可能性が低い文書」のことです。
私文書
これは「公文書じゃない文書」のことです。
定義は「公文書の定義」に依存します。
言ってしまえば「認められた文書ではない」わけで、
「信憑性が低い」ものとして扱われます。
ただし「本人の証明がある」場合、
例えば「署名がある」「印鑑が押されている」場合なんかは、
正式な文書として扱うことができます。
(民事訴訟法 228条 4項)
実質的証拠力
要は「証拠として扱えるかどうか」の話です。
『判決に必要な事実と、その証拠であると判断できる』なら、
それは「実質的証拠力がある」となります。
これについてざっと言うなら、
要は「無関係な事実は、事実であっても無意味」という話。
つまり「事実として認められる」ことと、
それが『証拠として扱えるかどうか』の問題は、
別々に、分けて考える必要があるよね、という話です。
はい、つまり『事実として認められている』上で、
『証拠として扱える』ものを、
「実質的証拠力がある」としています。
これら「事実」と「その関係性」については、
最終的には、『裁判官の主観』によって決められます。
より具体的な、どうしても主観に委ねるしかない点は、
『書証の内容が、どの程度信用できるか』と、
『証明すべき事実と、どの程度関係があるか』について。
この辺りはどうしても「裁判官の主観」になります。
なので最終的には「裁判官の能力・人格」次第です。
ついでに、押さえておくべき原則があって、
1つが『反論の無い主張は事実と認められる』ということ。
もう1つが『一度事実と認められたものは後で覆せない』こと。
民事裁判では、この点について注意をしておきましょう。
見落としがあると、実際がどうであったとしても、
不利な判決を下される可能性が出てきます。
刑事裁判
|| 罪には罰を、相応に、正しく与える
これは『犯罪』についての裁判になります。
「被害者」に『告訴』された後、
「検察官」が『起訴』することで起きます。
流れを大雑把にまとめると、
「告訴」→「捜査」→『起訴できるか』
「起訴」→「公判」→「判決」
多くの人が思い違いをしていますが、
「判決」が出た後に、「犯罪者かどうか」が確定します。
「逮捕されてから」ではありません。
この勘違いについてですが、
おそらくは「現行犯逮捕」のイメージが強いのだと思います。
この場合は、ほぼ確実に判決で有罪になるので。
捜査
これは『犯罪について、捜査機関が、
「犯人を発見・確保」「証拠を収集・保全する」という目的で行う、
一連の行為』のことを指しています。
「逮捕」とか「証拠集め」とかはここです。
一般的なイメージとそう大差はないかと。
ともかく、これらは4つの原則に従って行われます。
原則というよりは、「制約」という方が正確でしょうか。
『捜査』という行為は「人権を侵す」ことが前提になるので、
その「制約・制限」が必要だろう、という感じの話。
1つは『公平かつ適正に』という「正しさ」についての話。
1つは『任意捜査』という「人権への配慮」についての話。
1つは『密行』という「プライベートを守る」ことについての話。
んで、最後に『証拠捜査主義』が来ます。
これは「曖昧さを回避する」ための考え方ですね。
この段階で「疑われた人」が「逮捕される」ことになります。
この「逮捕された人」のことを「被疑者」と呼ぶわけです。
容疑者ではありません。
また、捜査機関が「捜査を行ったということ」は、
きちんと「検察官」に「書類で送る義務」があります。
これを書類送検と言うわけです。(ただの報告する義務)
起訴
これは「検察官」が『有罪にできる』と判断して、
『有罪にするように求める(公訴)』ことで起きます。
この「公訴を起こす」ことを「起訴」というわけですね。
ここで「被疑者」は「被告人」と呼ばれる立場になります。
ただ、この時点でもまだ犯罪者かどうか確定していません。
有罪判決が出ているわけではないので。
公判
いわゆる『裁判でのいろんな手続き』のことです。
「証拠調べ」とかが一番実感しやすいものでしょうか。
この結果として、「判決」が下されます。
この「判決」では、大雑把には「無罪か有罪」が決定されます。
イメージとして強いのは「口頭弁論」「証人尋問」とかですね。
これらは、あの法廷で発言する感じのやつです。
裁判と言えばこの感じが強いかと。
これは民事裁判でも似たようなことをやります。
民事裁判では刑事罰はありませんが。
判決
これは『厳重な手続を経て行う、判断のこと』です。
刑事裁判なら有罪か無罪かを決める感じ。
「有罪」判決を受けた場合は、
被疑者、被告人と来て、遂に『犯罪者』として確定します。
その後に、「法律に則って刑が執行される」わけです。
「無罪」判決を受けた場合は、
だいたいは証拠不十分で解放される感じです。
ただ、疑わしい場合は灰色無罪なんて言われたりします。
この『判決に不服がある』場合は、
今度は「上訴」することでまた裁判が発生する可能性が生まれます。
第1審の場合には、これは「控訴」と呼ばれますね。
この「控訴」に対する不服申し立ては、今度は「上告」と呼ばれます。
ややこしい。
これは、したからといって確実に起きるわけではありません。
それに、もしこの権利を無理に使うとペナルティは当然発生します。
具体的には「過料」と呼ばれる「お金の支払い・罰金」などが。
証拠調べ
|| 証拠の正しさを認めていく手続き
これは「公判」の手続きになります。
これが事実だ、という確定をするための話ですね。
「刑事裁判」は刑の執行が行われますから、
当然、その判断は厳密に行われなければなりません。
冤罪なのに罰を受ける、みたいなことはダメですよね。
そこで、刑事裁判では「証拠裁判主義」が採用されています。
簡単に言えば、「正しい証拠が絶対」という感じの考え方です。
これは『冤罪を避ける』という観点から、
刑事裁判に「厳密な証明」が求められた結果になります。
これは「推定で有罪にできてしまう」と、
例えば魔女裁判なんかの事例を認めることになっちゃうためです。
その流れとして、基本的に「証拠が無いなら無罪」になります。
これを「無罪推定原則」と言って、
刑事裁判については、これが基本原則となります。
証拠能力の制限
これは『信頼できる証拠だけ使える』っていう話ですね。
これは主に3つの基準で判断されます。
1つが『自然的関連性がある』ことで、これが基礎になります。
1つが『法律的関連性を考える』ことで、これは↑を制限します。
1つが『証拠禁止に当てはまらない』ことで、これも↑を制限します。
自然的関連性というのは、字面の通り、
要は「自然に考えて、関連している」という感じ。
例えば「殺人」で「被害者の血液がついた凶器を持ってる」なら、
これは明らかに関連があるとされるでしょう。
逆に「顔が怖い・性格が悪い」なんかは、関連が無いとされます。
法律的関連性については、
これは『自然的関連性を制限する』ものになります。
要は「なんか関連性があるような感じ」のものの中で、
『よく考えると、関連性が非常に薄い』ものがあって、
これは、「よく考えたら証拠能力が無いよね」とする話です。
これは主に2つの決まりが存在します。
1つが『自白法則』といって、これは「不正な自白」を制限します。
もう1つが『伝聞証拠禁止の原則』といって、これはそのままです。
不正な自白というのは、要は「拷問・強制」などの、
要は『強制された自白』の話。
これには「不当な勾留・拘禁・監禁」なんかも含まれますが、
あくまで「不当な」ものに限られるので、
不当でないのならOKということになってます。怖い。
最後の「証拠禁止に当てはまらない」っていうのは、
これは↑以外の『違法な証拠を制限する』という話です。
別名としてはそのまま「違法収集証拠排除法則」と呼ばれます。
自由心証主義
これは『事実認定』を「証拠から判断する」時に、
「裁判官に、最終的な判断を委ねる」ということを、
「そうしなければならない」からそうする、とする話です。
数学的な事実として、
「ほぼ100%」は確認・証明ができますが、
「100%」は確認・証明ができません。
ですから、最終的な「事実とする」という『決定』は、
『ほぼ100%だと思うという主観』に委ねられるわけです。
これについては、もうしょうがないよね、って感じで、
この「自由心証主義」が採用されているわけですね。
ただ、これにも制約・制限というものはちゃんとあって、
極端に主観的な判決にならないような決まりが存在します。
その決まりは、大別すると2つあって、
1つが「否定を消していく」アプローチと、
もう1つ「肯定を補強していく」アプローチがあります。
前者は「合理的な疑問の余地が無い」と表現され、
後者は「高度に蓋然性がある」なんて表現をよくされます。
かみ砕くと、
前者は「正しそうな疑問点が無くなった」という感じで、
後者は「どう考えても明らかに正しく見える」という感じ。
こういう形式を多く挟んで、
ようやく「限りなく正しい判決」が下されるわけです。
以上、法律や裁判の基礎的な話でした。
どうですか? 意外と当たり前のことばかりですよね。
用語や手順が多いだけで、そんなに難しい話ではありません。
この記事をきっかけに興味を持っていただけたら嬉しいです。
もし興味を持っていただけたのであれば、
暇になった時、もうちょっと詳しく調べてみてはいかがでしょうか。